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2012年9月11日

猫が鳴いてイた(13)

大二郎は帰宅して、母の八重が用意してくれた夕餉の膳に向かいあいました。

例によってかるく晩酌をします。母が世間話をしながら酌をしてくれました。客のない夜はいつもこうなります。

今夜の大二郎はだまりがちでした。河野初枝のことが気になって仕方がないのです。

いまごろ初枝は約束どおり種太郎殺しの顛末書を書いているでしょうか。

どんな気持でしょう。後悔しているのか。案外煩悩から解き放たれてすっきりした気分でいるかもしれません。いずれにしろ初枝はみずから生命を断つちがいないのです。

初枝が種太郎を殺したのは確かなことです。本来なら縛りあげて大番屋へつれていくところです。

子供を殺した罪は重い。たぶんさらし首になります。。学問のある初枝には耐えがたい恥辱でしょう。

大二郎は初枝をさらし者にしたくなかった。だから捕らえずに自害の機会をあたえたのです。

初枝は悪事を働くような女ではありません。わが子同然のユキを殺されて気鬱になり、分別を失って種太郎を殺してしまったのです。子供のころ、同じ思いをした身としては情けをかけずにはいられません。せめて面目をたもったまま死なせてやろうと思ったのです。

だが、一抹の不安はあります。筆跡から推しはかったのが正しかったかどうなのか。問い詰めたときの様子から見てまずまちがいないと思うのですが、本人が白状していないので、やはり気になります。

なぜ初枝は仙吉でも三河屋の内儀でもなく種太郎を殺したのでしょう。その理由がわかりません。隠さずに書いてくるでしょうか。

「どうかしたのかい。きょうはお疲れのようだね」

大二郎が無口なので母が気遣って訊きました。

「いや、なんでもありません。ちょっと気がかりなことがあって」

「へえ。どんなことなの」

「いま手がけている件でわからぬ点があるのです。母上はどのようにお考えでしょうか」

大二郎は母の意見を聞いてみる気になりました。

男にはわからぬ女心の働きがあるのかもしれないと思ったのです。

種太郎が拐かされ、殺された一件を最初から大二郎は語ってきかせました。そして初枝の心理をどう読むべきが訊いてみたのです。

「わが子のように可愛がっていた飼い猫を殺されて気鬱になったのかい。可哀相にねえ、そのお師匠さん」

いきさつをきいて母は考えこみました。

大二郎が子供のころ、同じ理由で気鬱になったのを知っています。他人事と思えないのでしょう。

やがて母は顔をあげていいだした。

「私がそのお師匠さんだったとしても、同じことをしたかもしれないねえ。憎いのは三河屋のお内儀よ。殺しても飽きたらない。殺すよりももっと苦しめてやりたいと思うでしょうね」

「殺すよりもっと――。といいますと」

「母親にとって一番つらいのは子供に死なれることよ。お師匠さんはだからその種太郎って子を殺したんじゃないの。死よりも深い苦しみを三河屋のお内儀に与えてやろうと思って」

「死よりも深い苦しみ――。なるほど、そうだったのか。だから初枝は種太郎を」

大二郎は立ちこめていた濃霧が急に晴れたような気がしました。

一点の疑念もなくなりました。

まったく人はおろかな生き物です。もとはといえば初枝の飼い猫が三河屋の魚を盗んだというだけのことで、子供が一人殺されてしまいました。

「母上、ありがとうございます。おかげで疑念が晴れました。同時にこの大二郎、あらためて親の恩が身にしみました」

「そんな――。いまさら。母親が子を思う気持はみんな同じなのよ。でもそのお師匠さん、可哀相な人ねえ。猫をわが子と思って育ててきたなんで」

あらためて母は酒を注いでくれます。

大二郎は杯を母に手わたし、徳利を手にしました。

「たまにはお飲みください。一緒にやりましょう」

うれしそうに母はうけ、盛大な親子の酒盛りがはじまりました。

その夜、大二郎は極上の酔い心地で床につきました。翌日、波乱が待っているとは予想もしていなかったのです。