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2012年8月31日

猫が鳴いてmいる(3)

主役の賊が金を受けとったら、かくれている仲間に合図を送って逃げだすでしょう。

仲間は合図を見て、人質をその場において逃走します。

だが、もしも主役の賊が近くに捕り方のひそんでいるに気づいた場合、金を放りだして逃げだすでしょう。それを見て仲間は人質を殺し、主役と同様、必死で逃げます。金は奪われずにすみますが、人質の命はなくなるわけです。

「そ、そりゃ困ります大町さま。種太郎の命だけはなんとか」

「心得ている。子供の命と金の双方を助けるのがどんなにむずかしいか、わかってもらいたかっただけさ。どうしても子供を助けたければ、五百両の損は覚悟してもらわねばならぬ」

一筋縄でいかない賊かもしれないのです。

大二郎は亀蔵、喜平次以下十五、六名の捕り方を美倉橋の付近で待機させる予定でした。だが、人質の引き渡しが終わるまでは手も足も出せないのです。種太郎がもどったとき、賊どもは安全な場所まで逃げのびているかもしれません。

同心の役目は賊を縛ることです。子供の命と金にこだわらなければ、たやすく役目をはたせるはずです。そうはいかないのが厄介なところでした。与兵衛にはせめて金に執着しないでほしいのです。

「むりかもしれんが、あすまでになんとか五百両用意しなさい。それをもって美倉橋へいくのだ。おまえさんの身柄はおれたちが守るから心配無用だよ」

やさしく大二郎はいいきかせました。

「わ、わかりました。なんとか金はつくります。どうか伜をぶじにとり返してくださいますように」

何度も畳にひたいをすりつけてから、与兵衛は去ってゆきました。

亀蔵は残って大二郎とあすの段取りを打ちあわせます。

「あっしのカンでは、賊どもは種太郎をつれて、舟で神田川をのぼってくるんだと思いますよ。一人が漕ぎ、一人が美倉橋で右岸へおりて与兵衛から金を受けとる。次いで子供を舟からおろし、あとは一目散の川下りってことになる」

美倉橋は隅田川から神田川に乗り入れて七、八丁さかのぼったところにあります。金と子供を引き替えたあと必死で神田川を漕ぎ下れば、なんとか隅田川に逃げ込めるでしょう。

隅田川は大河です。深夜舟を乗りいれたら、まずまちがいなく行方がわからなくなるでしょう。

「そんなことだろうな。よし、おまえは美倉橋の付近に舟を用意しておけ。涼みがてら、舟の上で捕り物になるかもしれぬ」

「わかりました。待ち伏せする捕り方は十五、六名でいいでしょうか」

「十分だよ。適当に声をかけておいてくれ」

相談はすぐにまとまりました。

大して厄介な事件とは思えません。

 

 

明くる日の夜四つ〈午後十時〉、大二郎は十数名の捕り方を美倉橋の周辺に待機させました、

夜泣きソバや鮨の屋台を引く者、右岸の土手に身をひそめる者、舟を浮かべる者、下流で待ちぶせする者、さまざまです。

大二郎は三河屋与兵衛とともに川端の料理茶屋の二階座敷で刻限を待っていました。こちらの姿が見えないように灯は消してあります。

与兵衛は五百両の入った手提げ金庫をそばにおいて、ときおり身震いしてうずくまっていました。

ほうぼうかき集めても与兵衛は三百両しか用意できず、自宅を抵当に入れてあとの二百両を工面したということです。

「伜はまだ生きておりましょうか。心配で私は昨夜一睡もできませんでした」

「大丈夫だよ。賊が欲しがっているのは金だ。子供の命じゃない。よほどのことがないかぎり、ぶじでいるだろうよ」

「私は人さまの恨みを買うおぼえはございません。だれがこんなことをやったんでしょうか」

「恨みじゃないよ。金がほしいだけだろう。」

「だったらもっと大金持ちを狙うはずではございませんか。世間には私どもなどおよびもつかぬ大富豪が多々おります。紀伊国屋とか三井越後屋とか伊勢屋とか。あの人たちなら千両や二千両ぐらい右から左です」

「そういう家は用心深く護衛の浪人をおいたりしているからな。賊もうっかり手が出せんのだろう」

真っ暗な部屋で二人はそんな話をしました。

大二郎は気つけの丸薬を出して与兵衛に呑ませてやります。緊張がつのって与兵衛は無口になっていました。