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2014年6月24日 2:52 AM

真っ赤なさくらんぼ

元神戸女学院大の教授、小関三平氏が例年のようにさくらんぼを送ってくれ
ました。本場の山形県産の桜桃です。食べてみると、とても美味かった。
甘味にズシンとくる重みがあります。香り、肉付き、淡い酸味、絶品です。
「うわあ。美味い。さすが本場モン。こんな凄いの初めてや」
「アメリカ産なんか問題やないね。これならTPPでアメリカに勝てるわ」
夫婦で賞味し、絶賛しました。
小関三平氏は大学がわたしよりも一年下。野球部のエースで在学中はもっとも
著名な京大生でした。
わたしは40歳近くなってから草野球チームをつくり、20年以上監督兼選手でガン
バリました。小関氏にも入団してもらって投手や内野手をやってもらいました。
わたしは左利きで1塁手しかできないけど、彼と1~2塁間を形成するときは、それ
なりに出世した気分でした。なにしろ1番有名な京大生だった彼と同じ内野を形
成するのですから。チームは10年以上前に解散したけど、以来彼は6月になると
桜桃を送ってくれます。小関家のルーツは山形県内だそうで、特産品が手に入る
のでしょう。
わたしが疎開した父の生家は昔はかなりの地主だったそうです。裏庭にはちょっ
とした果樹園がありました。桜桃,リンゴ、柿が各5~6本あって、季節ごとに実
が成りました。破産して戸障子や畳さえ借金取りに没収されたのですが、果樹は残
してもらったようです。戦時中でろくな食物がなかったので、実が熟すると樹に登
って、枝から直接もいで食べました。リンゴはさほどでもなかったが、桜桃と柿は
美味かった。なによりも樹の上で枝から直接もいでたべるのが気持ち良くて、今思
うとけっこう贅沢な経験でした。
桜桃はいくつか種類がありました。実の色合いと大きさが違うのです。赤と黄のま
じったのが標準で、肉厚のもの、肉の薄いものがありました。薄い方は酸味が強く
肉厚のは酸味と甘味のバランスがとれて美味かったです。黄色の肉厚の品種もあっ
て、これが一番美味かった。季節のくるのが楽しみでした。
でもわたしが大学生のころ、母親が家で保育園の経営を始め、裏庭の果樹園は伐り
払われて運動場になりました。7月の初め帰郷しても桜桃ななく、生活のためやむ
を得なかったとはいえ、やり手の母親が少々恨めしかったものです。
太宰治に「桜桃」という短編の名作があります。じつはこの稿を書くにあたって書庫
の「日本短編文学全集」を調べてみたのですが、太宰の「桜桃」は採録されていませ
んでした。したがってウロおぼえなのですが、主人公の小説家が日ごろの無頼な生活
をなにかの拍子(娘の誕生日?)に反省して、赤い何十個の桜桃をならべて紐でつなぎ
、首飾りにしてて幼い娘に贈る話だったと思います。
小説家はふだんの自堕落な生活を胸のうちで娘に詫びて、
「父は義のために遊んでいる。すまん」
と名台詞を吐くのです。
人生は苦労の連続です。人はメシを食うためにとりあえず働かなくてはなりません。
でも仕事は難しいし、疲れるし、給料は安いし、束縛されるし、文芸や芸術で(義
のために)生きたいと願ってももなかなか叶えられません。ついには「とりあえず」
のはずだった会社勤めなどが本業になり、文芸や芸術などの才能、野心は磨滅してし
まうのです。
「桜桃」の主人公の小説家は一般人の「仕事」を手抜きして(義)のために生きています。
だから妻子のためにろくなことをしてやれない。桜桃をつないでで首飾りとつくるのが
せいぜいなのです。
でも、妻子に対する愛情や申しわけなさ、それと裏腹な文士としての誇りなどが、赤い
さくらんぼの首飾りのイメージに凝縮され、わたしたちの心を打つのです。美しくも悲
しい、赤いさくらんぼの首輪。
小関氏の贈ってくれた本場の桜桃は赤いさくらんぼでした。ほんとに美味かった。輸入
物の黒っぽい桜桃はもちろん、子供のころ樹に登って食べた桜桃よりも上質の味でした。

小関氏は毎年桜桃を贈ってくれます。同じ山形産のものでも今年のほうが抜群に味がよ
かった。
小関氏本人にまだ確かめていないけど、察するところ、TPP交渉にそなえて産地では
一層の品種改良の努力をし、それが実ったのではなかろうか。その努力あるかぎり、
外国産など恐れるに足りないのです。
わたしが駆け出しの文士のころ「黄色いさくらんぼ」という歌が流行りました。
若い娘はウッフン
お色気ありそでウッフン
なさそで ありそで
ほらほら黄色いさくらんぼ
と云う歌です。酔っぱらって歌った覚えがあります。
さくらんぼはやはり赤くないといけません。わたしが酔って赤くなって歌うと、黄色い
さくらんぼも赤くなったようです。