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2012年11月20日 4:13 AM

老母の遺産でリッチマン

年賀状にさきがけて「喪中につき賀状欠礼」の葉書が舞い込む季節になりました。今年母親を亡くした友人知人が多いということです。
感心するのは亡くなった母親の歳がほとんど90才代であること。先日他界した森光子さんなんかまだ若手のほうだったようです。
無理もありません。わたしが70代の末になったいま、友人知人も似たような年代の人が多い。今年他界した母親が90代でなければむしろ不自然です。
それにしても父親の死去を告げる葉書が一通もないのには愕然としました。
みんなとうに父親を亡くしているのです。男に比べて女性がどんなに長生きかあらためて思い知らされました。
わたしの父はもう40年も前に69才で亡くなりました。母親は7年前に死去し享年96歳でした。やはり世間なみに母が長生きしたのです。
女性は出産に耐えられるよう、もともと生理的に強靭なのだろうし、これまでは男と違って競争社会で心身を磨り減らさずに済んでいました。男は筋力が強いだけで生命力がもともと脆弱です。その上競争社会で消耗するのだから、平均寿命が女性よりも短かくて当然でしょう。草食系男子の一般化は社会的必然だといえるようです。
犬と一緒に散歩すると男女の違いがよくわかります。犬をつれている男は犬同士が喧嘩しないよう努めて他家の犬に近づけまいとしますが、女性はお互いの犬を友達どうしにしようとして
「まあ可愛い。ほら、うちの子と仲良くなってね」
と積極的に友好関係を築こうとします。
うちの犬が過剰なほど他家の犬に馴れ馴れしくするので、飼い主が女性だとわたしはひそかにホッとします。競争社会で揉まれてきた男たちは残念ながら心がせまくなっています。
でも、女性の社会進出が普通になると、女性の平均年齢は短くなるかもしれません。外で働いた上、家事育児を強いられる生活は想像以上ににハードなようです。男も多少は家事を手伝うだろうけど、古代からの男女分業が一朝一夕に変わるはずもないのです。最近の出生率の低下は女性の自己防衛の意識の現れかもしれません。父の死去による喪中葉書と母の死去による喪中葉書がほぼ同数になる時代がくるかもしれないですね。
わたしの母は猛烈な頑張り屋でした。戦時中一家で秋田の農村へ移り、戦後父が気力をなくして酒浸りになってから、行商や保険のセールスをやったりしたあげく保育園を経営して6人の子供を成人させました。ずけずけ他人に文句を云うし、言い争いでは絶対に負けない性格でした。あの母を思い出すと、その強靭さに頭がさがります。いろいろ欠点もあったけど、仕事と家事育児を両立させ、しかも96歳まで生きたのだから、おどろくべき女傑でした。
戦後の混乱期にはわたしの母に匹敵するガンバリ屋の母親が多くいました。敗戦で自信喪失し生活力を失った男たちに代わって、母親たちは仕事と家事育児を両立させて苦難を乗り越えたのです。女性の社会進出が一般化すると女性の平均寿命が短くなるのではないかという疑問は、わたしの母にくらべるかぎり杞憂のようです。
わたしは母から
[お前のこと褒める人はこの村に一人もいねえ」
などとひどいことをいわれて中学高校時代をすごしました。それでもわたしは母親はなにがあってもおれの味方だという安心感に恵まれていました。価値観が違うのでしばしば迷惑させられたけど、わたしは母の愛情を疑ったことはなかったのです。
頑張り屋の母親たちを支えたのは子供に対する愛情でした。生命に替えても子供を守ろうとする執念によって子供たちは守られ、貧しくとも安心して生きられたのです。
現代の母親たちはしばしば教育ママになるようです。私の母も多分にその傾向がありました。これは形を変えたエゴイズムです。本人は愛情と勘違いしていますが、じつは我欲の押し付けにすぎません。
最近児童の虐待が社会問題になっています。山本健治氏の著作「親子崩壊」を読むとその実態がよくわかります。一部の若い母親はセックスの相手である男のほうを子供よりも大事にするようになったのです。男女を問わず人間がエゴイスチックになりました。我欲まみれの社会が間違いなくこんな母親を生んだのでしょう。
子供の犠牲になるのを厭わなかった母親たちはたぶん90代まで長生きします。児童虐待する母親は還暦まで生きられない。わたしはそんな気がします。子供を虐待するなんて、人間にとってもっとも不自然な行為なのですから。気づかぬうちにストレスまみれの人生を経験しているのです。いや、ストレスを感じる感性まで我欲によって摩耗したのかもしれません。そうなると、これはもう絶望です。
母親の逝去を告げる喪中葉書を見るたびに、わたしたちはは母性愛という貴重な遺産を受け継いだ世代だという感慨にかられます。母の遺産で総理になった鳩山由紀夫氏に劣らぬリッチマンだと云えるのではなかろうか。