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2012年10月4日

至福のとき(11)

だが、舞台子あがりとなれば話は変ります。歌舞伎の舞台に立つ者はどんな化粧でもやってのけます。理助のような美男でも、あっというまにあばた面の片目の男に紛装できるのです。

疑いの余地が出てきました。さっそく理助を調べなくてはなりません。

大二郎は説諭のうえ正七を放免しました。回向院で寝泊りしているのなら、覗きの被害を街におよぼすこともなかろうからです。

ついで二人の目明しと中間の新助をつれて坂本町の理助の家へ向かいました。

坂本町の貸家に理助はみつといっしょに暮らしていました。みつが死んでからどうしているのかよくわかりません。

その家は鬼子母神の南側の表通りにありました。雨戸は釘打ちされ、人は住んでいないようです。

家主の老人の話では、理助は四、五日前に借家をたたんで立ち去ったということでした。池之端の料理茶屋に帰り咲くといっていたそうです。

すぐに大二郎は下っ引を池之端へ走らせておいて、亀蔵らをつれていつもの町廻りに出向きました。

夕刻、大二郎が南町奉行所で日誌を書いていると、下つ引がもどってきました。

「池の端のどの料理茶屋にも理助はいません。女房が死んでから、あの界隈には一度も顔を見せていないようです」

思ったとおりの結果です。

大二郎はねぎらって下つ引を帰らせました。

あくる朝早く大二郎は新助をつれて小石川の寺社奉行屋敷へ出向きました。

寺社奉行職は四人の大名の回り持ちです。月番の大名の屋敷が順番に役所となるきまりです。今月の寺社奉行所は小石川にありました。

寺社役に大二郎は面会して、

「いま江戸市中で興行中の小芝居の名簿を見せていただきたいのですが」

と申し入れました。

歌舞伎には大きく分けて二通りあります。

一つは常設の劇場をもつ市村座、中村座、森田座の江戸三座です。

もう一つは寺社の境内や盛り場で、小屋がけでほそぼそと興行する小芝居です。

小芝居の江戸興行は年に百日しかゆるされていません。それも寺社でおこなうには奉行のゆるしが要るのです。彼らは江戸興行のあとは全国津々浦々をドサ廻りする浮き草稼業でした。

寺社役は御用の筋(すじ)ときいて名簿を出してきました。

いま江戸には湯島天神、富岡八幡宮、築地本願寺、両国、上野広小路などで計十二の小芝居が興行しています。大二郎は仔細にそれらの座名、座長名、興行期間などに目を通してゆきました。

なかに一つ、ほんの十日前に座長の交代を届け出た一座がありました。浅草寺の境内で興行を打っている雲居理右衛門一座です。

この一座は六月から興行を始め、あと三日で期限が切れてドサ廻りに出る寸前にきていました。

「わかりました。おそらくこの一座です」

大二郎は礼をいって寺社奉行所を出ました。

「浅草寺だ。雷門の近くの自身番で待っている。亀蔵、喜平次と下つ引を五、六人つれてきてくれ」

いわれて新助は走りだしたのです。