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2012年9月23日

至福のとき(5)

みつは理助と遊んだあと、代金が惜しいから駕籠は呼ばなかったようです。いつも正七に提灯をもたせて歩いて帰りました。雪の夜でもお構いなし。過分な駄賃が出るから正七は我慢できるのだとみんな思っていました。

「おみつさんはなぜそんなに正七をコキ使っていたのかね。どうもふつうじゃねえようだ。冬場に出会い茶屋のそばで一刻も待たせるなんてあんまりだぜ。駄賃をはずんだにしても、人使いが荒すぎる。まるでいじめみてえじゃねえか」

喜平次がいうと、手代たちは一様に首をかしげました。

「どうなんでしょうねえ。正七はくそまじめだから使いやすかったんでしょうか」

「正七のご面相では好かれていたとも思えないし、かといって嫌われていたらあんなにたびたび声がかからないでしょう」

いまさらながらみんな首をかしげています。

「金のことを賊に洩らしたのは間違いなく正七のようだな。脅されたのかどうかわからぬが、ともかく賊は正七から隠居所に大金があるのを訊きだして真夜中に押し入った」

大二郎はとりあえずそう結論を出しました。

知りたいことは数多くあります。大きな網を張ることになりそうです。

 

 

それからは亀蔵、喜平次のほか二人の配下の数人の下っ引が、総掛りで片目、入れ墨の男と正七についての聞き込みをつづけました。

いっぽうでみつと理助夫婦についても、噂をきいてまわりました。二人の身辺の探索によって怪しい人間が浮かびあがるかもしれません。

片目、入れ墨の男については市中の自身番に触れがまわりました。怪しい男がすぐにうかぶだろうと亀蔵らは高をくくっていたのです。だが、数日たってもどこからも知らせはありません。

右目の悪い男はどの町内にも一人や二人はいます。だが、片目で左腕に入れ墨がある者はちょっと見当たらないのです。

二つの条件をそなえた左官職人が神田鍋町に住んでいました。だが、調べてみると、みつの殺された夜は遅くまで近くの居酒屋で泥酔していたとわかって放免されました。

「やはり片目の男は無宿者だな。もう江戸にはいねえかもしれねえぞ」

「七百両ありゃ舟でも馬でもいくらでも雇える。いまごろは西国あたりじゃねえのか」

亀蔵らは一変して慎重になりました。

手代の正七の行方も依然として知れません。

ところが、みつが死んで数日後、思いがけない事実が判明しました。

大二郎がその日、役目を終えて自宅へ帰ると、喜平次が玄関の間で待っていました。

上がれというのを断わって喜平次は話しはじめました。

京屋の奉公人に弥市という老僕がいます。風呂番、庭木の手入れ、雪隠の掃除など雑用をしています。

喜平次は今日、街で偶然弥市に出会いました。弥市は薪の仕入れにいった帰りでした。

喜平次は近くのそば屋で弥市にザルそばを一枚奢りました。なにか京屋の内輪話をきき出せるかと思ったのです。

正七がみつの気に入りだったことに話がおよぶと、弥市は意外なことをいいだしました。

「正七はじつはいやいやおみつさまに仕えていたんですよ。わけがあって――」

だが、それきり口をつぐみました。主家の恥になるからいえないというのです。

「一朱も握らせてりゃしゃべったと思いますが、生憎あっしは空(から)っ穴(けつ)でして。面目ねえ次第で」

首をすくめる喜平次に、大二郎は財布から一朱金を二つとりだして手わたしました。

「一朱ですませるか二朱くれてやるかはお前の裁量次第だよ。うまくやれ」

「旦那、かたじけねえ。間違いなく良いネタがとれると思いますぜ」

喜平次は玄関から飛び出してゆきました。

夜になって大二郎は亀蔵と一杯やっていました。

そこへ喜平次が駆けこんできました。大泥棒の隠れ家を突きとめたような勢いです。

「身も蓋もねえ話なので、お母上のお耳にいれたくねえのです。まさかきこえちゃいませんよね」

声をひそめて喜平次はとなりの部屋や廊下をうかがいます。

「だれもきいてはおらぬよ。なんなら天井と床下でも調べてみるか」

大二郎は苦笑したが、にこりともせず喜平次は身を乗りだしました。

「正七には風呂場を覗くくせがあるんです。母屋の風呂に女が入ると覗きにいくそうな。風呂場の壁に小さな穴をあけましてね」

「覘き屋か。しみったれた道楽だな。正七はそんな屑(くず)野郎だったのか」

亀蔵が眉をひそめ、大二郎はまた苦笑して続きをうながしました。

京屋は母屋に風呂場があります。使うのは家族だけで、奉公人はみんな銭湯にゆく慣(なら)わしです。

銭湯は男女入れ込みです。女の裸が見たければ銭湯へゆけばいくらで叶えられます。

だが、主家の若妻や娘たちの裸には格別のかがやきがあるのでしょう。正七は三年ほど以前からとりこになったらしいのです。

覘きながら正七は自慰をしていました。終ったあと壁の穴に土を詰めたのと、夜、闇にまぎれて覗いたのとでだれにも見咎められなかったようです。

だが、二年まえ、弥市は正七が覗いている現場へゆきあわせました。

「勘弁しとくれ父っつあん。母屋に知れたらおいら、ひまを出されちまう」

土下座して正七は哀願しました。

「二度とするんじゃねえぞ。今度だけは見逃してやる」

くそまじめな正七を弥市は可愛がっていたので、仏心を出したのです。

それでも正七は弥市の目を盗んでときおり覘きをやったようです。