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2012年9月25日

至福のとき(6)

これは病いなのだ。説諭しても無駄だろう。弥市はむしろ哀れに思って見て見ぬふりをしてきたのです。

「たしかに世の中には妙な病いをもった男が数多くいるよ。女の腰巻きを欲しがる奴とか、白足袋をあつめて喜んでいる奴とか」

「銭湯を覗く男は多いですな。女が雪隠に入ると飛んでいって聞き耳を立てる奴もいる」

大二郎と亀蔵はうなずきあいました。

これまで下手人探しの過程でそうした困り者に何人も出会ったことがあります。すべて男でした。女を抱きたい欲心が抑えつけられて、歪んだ方角へ走り出すのでしょう。

「そういう奴らは自制しようとしてもできない。まさに病いなのだ。妙な行いによって他人には計り知れない法悦にひたるらしい」

「以前深川で若い女の木履(ぼくり)を盗んでよろこんでいるバカがいました。何足もの木履を抱いて寝るのが何よりの楽しみだそうで」

「正七もそうやって覗いてうっとりしているところをおみつに見られたんだろうな。以来コキ使われるようになった」

「そうなんです。二度目に出戻ってからおみつさんは正七をつかまえたようです。でも穏便に済ませてやった。以来正七はおみつさんのいうがままで」

「なるほど。おみつに金玉を握られてアゴで使われていたのか。となると、度を越すと殺したくもなるだろうよ」

亀蔵が思慮深そうにつぶやきました。

「そうなんですよ。正七は賊と手を結んで金のことを教えたにちがいねえ。賊がまさかおみつさんを殺すとは思わなかったんでしょう」

喜平次が勢い込んでつけ加えました。

「そうだな。そういう流れになるか」

大二郎はつぶやきました。

だが、たしかな手応えは感じていません。

「正七がおみつを殺して逐電したのかもしれないぞ。その線もたどってみる値打はある。正七にしてみりゃ、いつまでもおみつに金玉を握られたままでは息がつまるからな」

「そうですな。身軽になるため一思いに――というのもあり得ます。どこかへ身をかくして、真夜中に押し入ったのかもしれません」

亀蔵が答え、正七の行方さがしが新しい重要な課題となりました。

その一方で数日後、喜平次が片目の男について奇妙な話をききこんできました。

みつの通っていた本石町の三味線師匠の塾へ喜平次は聞き込みにいってきました。みつと理助のなれそめからたどって、なにか手掛かりを掴もうと思ったのです。

三味線の師匠はもと吉原の芸者あがりのしげという老婆でした。その話によると、みつがその三味線塾へ通うようになったのは、およそ一年前だったということです。まもなく理助が入門してきて、二人はねんごろになりました。

その三味線塾には三十人からの門下生がいたといいます。ためしに喜平次は訊いてみました。

「数ある弟子のなかに片目の男はいなかったか。悪いのは右の目のほうだ」

しげはちょっと思案したが、すぐに思い出して答えました。

「ええ、いましたよ。卓治という人でした。ほんの三ヵ月かそこらだったけど」

歳のころは三十前後。中肉中背だったようです。

「そうか、いたか。その卓治という男、左の腕に入れ墨をしてなかったか」

さあ、どうですか。まだ春先だったから腕まくりすることもなかったので」

しげは困った顔でかぶりをふりました。

だが、つぎに大事なことを教えてくれたのです。

卓治は芝にある宿屋の板場の料理人でした。三味線の腕前はなかなかのもので、しげは教えるよりも合奏を楽しんだということです。

卓治はみつに馴れ馴れしくしたが、みつのほうは知らん顔をしていました。

「どうしておみつさんは冷たかったのかな」

「そりゃ無理ですよ。卓治は片目だし、ひどいあばた面でほっぺたがデコボコしてましたから」

笑ってしげは手を左右にふってみせました。

まもなく卓治は塾から身を引きました。入れ代わるように理助が入門してきたのです。

こちらは惚れ惚れするような好い男です。三味線も直助に引けをとりません。たちまちみつは惚れこんで婚姻に漕ぎつけたのです。

「片目の男がいたときいて、これだと思ったんですがねえ。無宿者ではなく板場の職人、卓治でした。ご面相はいだだけないが、悪い奴ではなかったようですよ」

喜平次は気のぬけた面持で話し終えました。

卓治の働いていた芝の宿屋の名はしげも知りませんでした。その点が大二郎は気になります。

理助も料理人です。池之端の料理茶屋で修業中です。二人のあいだになにか関係があリそうな気がしてなりません。

その翌日、やはり喜平次がもう一人の片目の男の噂をききこんできました。