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2013年2月5日 4:41 PM

芥川賞。ああしんど

第148回芥川賞の[abさんご」を読んで感想をブログに書く予定でした。77ページの作品なので、どんなにややこしい作品でも1晩かかれ読みこなせるはずでした。ところが一向にページがすすまず、一晩では読み切った気になれませんでした。

77ページを読みあげても頭が混沌とするばかり。もう一晩を再読に費やしてしましいました。したがっ
て火曜日のはずのブログ更新ができない可能性があります。すみません。
わたしの経験では芥川、直木賞はもらうまでは天下の大事だけれど、いったんもらってしまえば憑き物が落ちたように気にならなくなりなります。だからこれまで両賞の受賞作はあまりに読まなかったのです。今回は評判につられて読みました。横書きの小説であること、極端に平仮名を多用した文章であること、作者の黒田夏子さんがわたし同様の後期高齢者であることが動機づけとなりました。
読み始めて最初は困惑しました。平仮名主体の横書きはなんとも読みにくい。横一列の字を一つ一つたどって何度が読み返さないと 文章の意味が頭にはいらないのです。
途中で気がつきました。漢字は表意文字だから、目に入ったとたん意味(常識的な)がわかります。わたしたちは知らず知らず読み飛ばしをしています。だが、この作者はそれをゆるさない。
読むのが面倒なら読まなくて結構、という姿勢なのです。娯楽小説の書き手であるわたしにはとてもできない芸当です。 驚嘆すべき姿勢でした。しかもセンテンスが長いので横書きはこの作者にとって便利でもあります。おまけに「おぼめかす」「かくれまろぶ」「はたたく」「うけがう」など典雅な古いことばが出てきます。電子辞書の世話になりました。

一度読了してわたしは現代音楽を聴いたよう気分でした。ご存知のとおり現代音楽にはわけのわからん曲が多い。シェーンベルグやヒンデミットの曲はほとんどが「なんでこんな曲に付き合わんといかんのや」という気にさせます。

現代音楽を難解にした張本人はストラヴィンスキーだといわれています。

「ストラヴィンスキーは過度に個性的であろうとした」とコリン、ウイルソンはいっています。だが、ストラヴィンスキーには華があります。反して「abさんご」には花の描写は多いけど「華」というほどのものはありません。しいて言えばバルトークかな、とわたしは思いました。われら素人が現代音楽から感動や昂揚感を得ようとすれば馴れるしかありません。何度も同じ曲を聴いてやっとわかったような気になれるのです。「abさんご」はまさにそんな作品です。わたしは一晩読み返してようやくしみじみと作品世界に入ることができました。

ストーリーは簡単です。赤ん坊のころ母を亡くした一人娘と学者である父親の一体感にあふれた生活に、女中のつもりで雇った女が割り込んできて、数年後、学者として名をあげた父親を誘惑して後妻におさまるところがメインです。まもなく主人公は家出して困窮した歳月を送ります。

リアルな小説なら父親と女中がデキてゆくごたごたがメインになるところですが、作者はそこにこだわりません。あっさり切りあげます。ここで作者が主人公、父親、女中の固有名詞はもちろん、父、娘、女中の語さえはっきり使わずにきた理由がわかります。その場面場面で主人公は家出娘、父親は学究、女中は家事がかりなどと指名語が変わるのです。

こうすることでおどろおどろしい現実が抽象化され、従来の小説にはなかった記号的な人間模様の展開となります。小説全体が泥まみれの人間模様を越えて詩的な世界に一変するのです。読者は一語一語を丁寧にたどりながら現実の人生の一段上の詩的人生を経験することができるのです。

いまは純文学の作品でもある程度の部数が見込めないと出版されない時代です。この作者はもちろん発見者である仏文学者や候補作品に選んだ編集者に敬意を表して、わたしにしてはまじめな文章を終わります。ああしんど。