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2011年9月1日 2:41 PM

被災地見学(2)

10日前の被災地見学の残像がまだ頭に浮かんできます。年取ってから良い勉強をさせてもらいました。
石巻から女川にかけ てのゴーストタウンの光景はとくに印象的でした。木造家屋の残骸はほぼ片づけられ、くすんだコンクリートの建物だけが並んでいます。建物はどれも外壁だ け。内部はどす黒くてがらんどうです。地震で一部が破損したあと津波が押し寄せて家具などをすべて引っさらっていったのです。もちろん多くの人が流され、 呑み込まれたということです。
地震、津波による廃墟の町には空襲による廃墟とはまた違った不気味な印象がありました。空襲は建物を 破壊し、人を殺傷しますが、地震、津波の攻撃は人間を主要な標的とします。毒ガス攻撃に似ています。なまじ建物の外壁が残っているだけ、失われた人命をわ たしたちは強く意識せざるを得ない。暗くてがらんどうの建物のなかに亡くなった人々の霊魂がひそんでいて、助けを呼んでいるような気がします。裏通りや路 地を霊魂が飛び交って、身の不運を嘆いているように思いました。
わたしたちの乗った車のラジオが「被災地のみなさん、頑張って」だ の「なでしこジャパンの優勝は被災地に勇気をあたえた」だのといっていました。言葉というものがあれほど空しく耳に響いたことはなかった。現実は重く言葉 は軽い。実感のこもらぬ言葉はなおのこと軽く、むしろ偽善を印象づけます。被災地、頑張れと口に出すことでわたしたちは被災地の人々をはげますよりも、わ たしたち自身が同情心に富む人間であることを確かめて満足しているにすぎない。
それでも廃墟の町は眺望がきくだけ、地震と津波のおそろしさが身にしみます。福島原発の付近の住民はどうなのだろうか。放射能汚染から逃れるため立ち退きを命じられた住民はどんな思いなのだろうか。
原発周辺は立ち入り禁止なのでわたしたちは福島には足を伸ばしませんでした。しかし原発それ自身は別として周辺の汚染地帯の風景は以前と変わりないはずです。故郷が廃墟と化したわけでもないのに移住を強要された人々の呆然とするさまは他人事ではありません。。
昭 和20年8月15日、わたしは疎開先の秋田県の農村で日本の降伏知りました。それをきいたとき、わたしはパニックになって家を飛び出しました。「本土決 戦、一億玉砕」【敵に降伏するのは恥だ。それより自決しろ」「生きて虜囚のはずかしめをうけず、死して罪科の汚名を残すなかれ」 これまで叩き込まれた教 えが胸につまっていました。
「降伏より死をえらべ」の教えは全国民に徹底している、と小学6年生のわたしは信じていました。村の神 社、寺院、公会堂などでは大人たちが集まって自決するのではないか。在郷軍人、帰還兵、学校の先生、巡査などがつぎつぎに腹を切るのではないか。心配と恐 怖でわたしは足がふるえていましらた。
わたしの住んでいたのは戸数150ほどの大きな村落でした。だが、どこへいっても切腹する大 人は一人もいませんでした。若い女の先生が一人、泣きながら村道を通っただけで、村はいつものように静まり返っています。にぎやかにセミが鳴き、ニワトリ が家々の庭を駆け回り、馬車引きのオヤジががらがらと馬車を引いて通ります。
わたしは拍子抜けしてひろびろとした田圃へ出てみまし た。そこもふだんのとおり静かでした。野良着の男女があちこちで黙々と働いています。広大な緑の田園ははそよ風にさやさやと波立ち、小川が歌い、盆地を囲 む山々は青みがかって沈静している。戦争に負けたという大事件が起こったのに、風景は何一つ変わらず、人々にも変化はない。
「国敗れて山河あり」というなにかの詩をわたしは思い浮かべました。人々が軍国の教えをまもらないのがふしぎでした。
だが、夏休みが終わるころ、大人たちは一変していました。「これからは日本はアメリカを見習ってデモクラシーの国になるのです」
校 長初め先生が口をそろえました。わたしたちは東條英機らの指導者にだまされて戦争をやったというわけです。農村の風景はまったく変わらないのに大人たちの 言動は一変しました。それを恥じる者もいなかった。あのときの不信感がわたしの人格形成に大きな影響をあたえたことは確かです。わたしは宗教だのイデオロ ギーだのを信じなくなりました。へたに信じるとバカをみる。そう思い込んだのです。
風景は変わらないのに社会は一変する。小学6年 のわたしと同じ思いをいま原発周辺の人々は味わっているのでしょう。なんの罪もないのに移住を命じられ、家畜や農産物までも「福島産」の汚名をきせられて いる。廃墟の人々と同様の、もしくはそれ以上の荒廃にさらされているわけです。目に見える風景が変わらぬだけ、心にうけた傷は深いはず。
そ れを思うと、ここぞとばかり政府や東電の責任を問う大声さえ空しく聞こえます。「被災地のみなさん頑張って」の声と同様の偽善をわたしは感じるのです。家 を追われた人々の心の廃墟が、責任追及の声によってどの程度修復されるのだろううか。国民の関心を被災地から外さないためには有効なのだろうけど。たとえ 充分な補償が行われたにしろ、それとは別次元の廃墟が人々の心に残るのではないだろうか。