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2011年8月26日 2:34 PM

被災地見学

8月24.25日に被災地の石巻、女川、気仙沼などを見学してきました。元テレビキャスターの山本健治氏が案内役。氏は気仙沼の北部でこの七月2週間ばかりボランティア活動をした経験者です。
山 本氏の運転する車で仙台を出発、松島湾の湾岸を経て石巻へ向かいました。仙台市内から道路がところどころ波状になっていて地震のすざまじさを物語っていま した。風光明媚な湾岸道路に沿った松林のほうぼうがが津波の潮をかぶって枯れています。沿線の町や村落にも崩れた家がめにつきました。松島町の旅館はまだ 休業中のものもあったけど、湾に浮かぶ数多くの島のおかげで津波の被害はさほどでもなかったらしい。日本三景の一つの一帯はなんとか活気をとりもどしたよ うです。
石巻市の海岸近くの一帯でわたしたちは呆然となりました。住宅地だった地域も田園だった地域も津波のせいで破壊されつく し、瓦礫だらけの広大な荒地になっています。復旧作業にあたる人影はほんのわずか。作業にきていると見えたトラックが、近づいてみると、津波に何百メート ルも運ばれて荒地に放置されたままの車だとわかり、目玉が飛び出しそうになりました。船も荒地に運ばれてなかば土に埋まっています。震災後半年近くたって まだこの有様。政府や自治体の対応の遅れを非難するよりも、わたしはまず無力感にかられました。百人や二百人の労働力ではどうにもなるまいというあきらめ の感情です。それほどこの地域の荒地はは広大でひろびろと見渡せる点、神戸震災よりも復興の困難を感じさせます。、じっさいボランティアの手で可能な片付 け作業などはすでに九分どおり終わって、あとは 大規模 工事が
必要なのです。それが停滞している。なんということか。

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巨 船がひっくり返ったままの海岸地帯は立ち入り禁止。通り過ぎて石巻北部にさしかかると、違った荒廃の景色がにひろがります。街の中心部らしくコンクリート のオフィイスビルや商店、マンションらがならんでいます。だが、人の気配がない。近づいてみるとほとんどの建物が大なり小なり破壊され、内部は空洞。地震 後津波が押し寄せてすべての建物の内容物をかっさらていったのです。住民も多くが亡くなったらしい。建物の内部は一様に黒っぽく、静まり返っています。軍 隊による市街戦のあとのような、建物ではなく人間が殺戮の対象となった事変の痕跡のような光景がえんえんとつづきます。「ゴーストタウン」の語がぴったり くる。寒気のする光景です。住民はいないのに、通りは車が頻繁に往来している。みんな「死の街」から顔をそむけて日々の生業のため道路を走りぬけてゆく。 わたしたちもその一員でした。
女川港は細長い馬蹄形の湾なので津波が高さ数十メートルもの高さになりました。高台の病院などにも被 害がおよび、多数の死者が出たことはテレビで報じられたとおりです。こ地区のことかどうかわかりませんが、津波の映像には流される人々の姿が多数あったの でそれを消して放映されたとか。港はがらんどうのビルがいくつか残っているだけで、瓦礫の片づけがやっとおわったところでした。復興に何年かかることや ら。美しい港だったはずなのに、いまは残骸の港といってよい。
25日にははるか北の気仙沼に足をのはしました。ここも街の半分は ゴーストタウン化し、美しかったはずの観光桟橋は無残な残骸をさらしていました。よその地へ移住したり嫁入ったりした人々が故郷の変わりようを見に来てい る姿が痛々しかった。有数の漁港であるこの地の漁船はやっと一部が操業したところ。水産物関係の向上などは破壊されたままのようです。
2 日間の駆け足見学のあいだしみじみ感じたのは、いざというときは国も政府も当てにならない。自分の身は自分で守るより仕方がないということです。災害の多 い国にうまれた不運を嘆いても始まらない。ふだんからわたしたちは万一の場合のため、そなえを固めて暮らす必要がありそうです。だが、いざ災害に直面して 家を失った場合、あまりに早く再建すると行政側はこれ幸いと援助の手を控えるそうです。山本氏の説によると、行政は援助金を節約するため、自力で立ち上が る人が増えるのを黙って待つ性質があるとのこと。勉強になりました。
もう一つ私の感じたのは、たとえは昨日までの美しい「わが町」が一夜にしてゴーストタウンと化した経験をした子供たちがどんな大人に育つだろうかということ。【死の街」の光景が心象風景となった子供たちがどう育つか、さまざまな物語が考えられます。
それを作品化するのが、文士のはしくれとしての責務かなどと考えています。