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2014年12月23日 3:49 AM

酒は涙かため息か

22日は京大病院へ持病の小脳変性の検査にゆきました。夜行族のわたしとし

ては目一杯早起きして遠路を出かけたのです。ところが症状に進行なしとのこ

とで治療も投薬もなしで放免されました。よろこぶべきか不満なのか釈然としな

いまま会計所へいったら、北白川国民学校の同級生H氏に偶然出会いました。

数年ぶりの邂逅です。H氏は某大銀行の河原町四条だか祇園だかの支店長
だった人で、膀胱に異常があってこの数年、何か月に一度のわりで通院して
いるのだそうです。
「やあやあ久しぶり」というわけで、ベンチに座って話し込みました。わたしが
医師にいわれて禁酒中であることをボヤくと、彼は数年前に医師の勧めも待た
ずきっぱりと酒をやめたそうです。同級生のだれかれの噂にになると、あいつ
も禁酒、こいつも禁酒、集まっても下戸だらけだそうです。書道師範のM氏
がいまだに呑んでいるとの話に「やはり現役やからな」と双方ナットクしたわ
けです。小生も現役のつもりですが、世間的にはもう終わった物書きなので
別段ひっかかりませんでした。
驚いたのは高名な学者の息子で底なしの酒豪だったY氏が禁酒中とのこと。
ともかく寄る年波に酒は敵らしい。どの会合でも平均75歳を越えると下戸
が大勢を制するのです。
適量なら酒は百薬の長といわれます。だが、加齢とともに体力が低下し、適
量が年々少くなってついに有害化するようです。平均80歳以上の会合とな
ると、同じ「飲み会」でも抹茶とかミルクとかを嗜む会にべきだといいます。
これでは面白くない。年寄りの出不精の一因でしょう。
わたしは学生時代、全然飲めませんでした。アル中で晩年を棒に振った亡父
を反面教師にしてもいたけど、飲むとすぐに赤くなり、眠気がさしてすぐに
ダウンするのがつねでした。体力的に大酒飲みでなかったのです。周囲の友
人たちに大酒豪が多くて、圧倒された向きもありました。でも、その人たち
は今日まで他界するか倒れるかしていて、医師の指導に文句をいえなくな
るのです。
わたしはサラリーマン時代、管理職のハシクレになって、以後は酒席が多く
なると思って毎晩寝る前に水割りを1~2杯飲むようにしました。1年もする
と立派な酒飲みになりました。小説家になってからは週に1~2度は北新
地へ行きました。大抵編集者が一緒でした。ホステスがウリのクラブは高い
ので大抵は音楽酒場で歌っていました。荒木一郎や布施明などのほかは
シャンソンでした。J、ムスタキにハマっていまでも20曲ぐらいは原語で歌え
ます。(歌詞を読みながらですが)ともかくわたしにとって酒場は人付き合
いの潤滑油でした。こちらも相手も無警戒になって本音をさらけだし、けっ
こう真剣に話していたような気がしています。
75歳を越えてからは妻と2人で赤ワインを楽しむのが日課でした。ワ
インが潤滑油になるのは家庭でも同じで、夫婦仲はかつてなく良かった、と
すくなくともわたしは思っていたのです。
ところが禁酒令です。まだやりたい仕事があるので従わざるを得ません。
小脳変性にはアルコールが悪いとは現在わかっている唯一の真理だそう

です。肝臓の数値は平常なのに、思わぬ方向から矢が飛んできたわけです。
男の人生の楽しみは飲む,打つ、買うにあります。買うはもう年で駄目。モ
テるわけがない。飲むもダメである以上、打つしかないなあ。いまさら競馬
でもないし。パチンコなんかみみっちくてやりたくもない。
そんな結論でH氏と別れました。京大病院を出て京阪電車の駅まで歩いた
ところで、まだ病院の支払いが済んでいないのに気がつきました。話し込ん
でわすれたわけ。認知症かもしれないけど。
何ちゅうこっちゃ。わたしは仕方なくまたテクテク会計所に戻って支払をす
ませました。とたんに思い当ったのです。
飲む,打つ、買うのうち飲む、買うがダメなら打つしかない。認知症のの予
防注射を打つべきである。妙案だとわたしは一瞬うれしくなりました。しか
し、考えてみるまでもなく認知症に予防注射はありません。せめてインフル
エンザの予防注射を打ちますか。
痛いけど、健康に勝るよろこびはありませんからね。

むかし「酒は涙かため息か」と云う歌がありました。年寄りにとって酒は涙でも

あり、ため息でもあるのです。