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2015年3月10日 12:20 AM

雨の京都 酒の肴は思い出話

3月3日の夜、京都で京響のコンサートがありました。指揮延原武春、ピア
ノ高田泰治でベートーヴェンの交響曲7番とピアノ協奏曲4番が演目でした。
招待状をもらったので聴きに出かけました。元ABCアナウンサーの上田博章
氏に付き合ってもらいました。上田氏は多忙だったようだが、クラシックの
コンサートにはあまり縁がないので、野次馬気分で同行してくれたようです。
延原氏指揮、大阪フイル演奏のベートーヴェン7番は以前1度聴いたことがあ
ります。躍動感にあふれた、爽快な演奏でわたしはその曲に抱いていた先入観
を払拭されたものです。第4楽章のいささか品のないはしゃぎようが、延原氏
の指揮ではケレン味のない活況を呈していて、聴いていて良い気分でした。
だが、3日の京響との共演は、わたしにはなんだか張りがなくきこえました。
テレマン室内オーケストラの核になるメンバーが加わっているのにどうしたこ
とか。やはり指揮者とオケには相性があるのでしょうか。
京響は近年広上淳一氏の指揮で人気が上ったようです。しかし延原氏の棒で演
奏する機会がすくないのかもしれません。
そういえばピアノの高田氏も持ち味を出しそびれていたようです。高田氏はや
はりフォルテピアノよりもチエンバロで繊細きわまるフレースを聴かせてくれ
る天才なのでしょうか。まあ素人の印象批評なのだから、笑って読み飛ばして
ください。
終演後、ホールを出るとひどい雨でした。夕刻から降りだしたのがまだ止んで
いないのです。まったく今年は雨が多い。なんとかタクシーをひろって花見小
路へ向いました。風情のある街並みを走っていると、さまざまな思い出が浮か
んできました。
わたしは小学5年まで京都で暮し、6年になる直前に秋田の農村へ疎開しました。
そして大学のとき京都へ戻ってきました。小学5年までの幼年期と、学生時代の
4年間はわが人生でもっとも幸福だった時期です。ところが久しぶりで京都へき
て雨の夜を走っていると、つぎつぎに湧いてくるのは後悔の念ばかり。今夜はわ
すれていた1つの記憶がよみがえりました。
学生時代わたしはろくに教室へ出ず百万遍の音楽喫茶へ入り浸っていました。あ
そこで半端な音楽的教養を身に着けたのですが、楽器もダメ、楽譜も読めない音
楽好きなんてゲテモノもいいところです。なんでわたしは教室出なくなったのか
その理由が不意に浮かんできました。
なんのゼミだったかわすれたけど、講読の指名のおり一々生徒に「君、どこの高
校の出身ですか」と訊く教授がいました。
京都の洛北だの大阪の北野だの名門高の出身者はそれぞれ胸を張って答えます。
すると教授は
「ああ北野なら君より2~3級上に××君がいたでしょう。知ってますか。彼は
いま朝日新聞で活躍していますよ」
とかなんとかその先輩の噂話をするのです。
私の番がきて花輪高校と答えたところ、
「ハナワ。そりゃどこにあるんですか」
と教授は訊き、級友たちは憐れむようにわたしを見ました。
田舎者と云われたような気がしました。秋田県の名門大館鳳鳴ならともかく、わ
たしは不祥事で転校退学処分をうけ、旧女学校の花輪高へ移らされたのです。
問答を終えてわたしは講読にかかりました。動揺していたので散々のデキでした。
以来、大学では周りがみんな秀才に見え、田舎者たるわたしはゼミがいやになり、
音楽喫茶に入り浸るようになったのです。
京都へきてコンサートの帰り、たまたまそんなことを思い出しました。アホみた
いな話だけど、若いころは小さなことにけっこう傷つくものです。もっと図々し
くフランス語を学んでおけば、わが人生ももちっと格好がつくものになってい
たでしょう。
むかしなにかの雑誌で対談した「アーロン収容所」の著者会田雄次教授に教わっ
た肉料理の店「ぽうる」で上田氏とバカな思い出話をし、禁酒を破って赤ワイン
を飲みました。上田氏も京大の出身で同年だから話が通じやすい。
ご機嫌で深夜帰宅しました。居間のテレビの音が小さいので、もっと大きくして
くれと妻にいったところ
「あんた、最近かなり耳が遠くなったね」
といわれました。京響の演奏をきいて何だか張りが無いと思ったのは、歳をとっ
て耳が遠くなったせいのようです。口惜しいが補聴器を買いましょうか。それに
しても京都はいろいろ、ろくでもない思い出のある街です。