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2016年4月19日 2:07 AM

震災と戦争

ここ数日テレビも新聞も熊本震災一色です。本震がわからなくなるほど次々に
余震が連続して発生してはメディアも対応に困るでしょう。テレビが頼りの側
としては避難所にあふれる被災者を気の毒に思いながら、自分には関係のないことだと思わざるを得ません。そして安堵するのです。
そして、こんな気持は過去にも味わったことがあるぞと振り返って、そうか、
と納得したのは空襲の思い出です。

ここ20年ほどの間に神戸大震災も東日本大災害も経験したけど、少年時代の記憶と結びついたのは熊本震災のみです。
神戸、東北の2災害は1日か2日で終わりました。そのぶん差し迫った危機感
はなかったと思います。どころが今回の災害は1週間近く間断なしに余震に襲われて被災者も一般市民にも心の休まるひまがなかったのです。
その点が戦争と似ていました。あれは昭和20年3月10日、12日、14日
、17日と日本の主要都市である東京、名古屋、大阪、神戸がつづけざまに大
空襲されたのです。300機のB29によって日本は焼け野原になりました。
わたしは京都北白川国民学校の5年生でした。13日23時過ぎから14日早
朝にかけて約3時間、大阪が大空襲されたのです。わたしたち京都市民は庭の防空壕で首をすくめていました。1時間ほどたって、防空壕を出て南西の空を
見ると(大阪の空)赤く染まっていました。大火災が起っていたのです。
ラジオのアナウンサーの声が上ずっていました。
「大阪のみなさん、頑張ってください、頑張ってください」
その声はいまも耳に残っています。
逃げ惑う大阪市民の姿が目に浮かびました。何とかしてあげたいが、どうにも
ならない。しかしこれは大阪のこと、京都には関係ないことだ。
逃げ惑う大阪市民の姿を想像する苦痛と、京都のことではない安堵感を同時に味わって、わたしは気持の整理に困りました。そのとき父が、
「このぶんでは大阪は大分やられてるなあ」と独り言をいいました。それでわたしは「これは大阪のことだ、自分に関係ない」という思いが強まって気持の整理がつき、元気になりました。大阪はこの夜、13万5千戸が焼失したのでです。
だが、熊本震災ではなぜか「わがことに非ず」と云う気になれません。日南海岸にささやかなセカンドハウスがあって(もう手放したけど)毎夏訪ねていたせい
なのか、日本には2000もの活断層があって、どこにいても地震に会う可能性
があると知ったせいかもしれません。
しかし、それから半年もたたぬうちに戦争が終りました。平和と民主主義を日本人は手に入れました。地震も繁栄も予告なしにやってきます。熊本の被災者の姿を見ていると、室町時代とあまり変わりはない悲惨さです。不安定な人生を送るのが日本人の宿命なのですかね。。