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2011年3月30日 1:56 PM

震災

震災発生以来、テレビをつうじてなんとも切ない思いで被災地をみつめてきました。どうにかして力になりたい、しかし大枚の義捐金をだせる身分でもない。焦 るだけでなにもできない。しかも心の底には自分の平穏無事を喜ぶ思いがあって、それがうしろめたい。そんな心境でいる人はきっとわたしだけではないはずで す。

考えてみると神戸大震災の似たような心境でした。いや、記憶をたどるともっと幼いころこんな気持ちを味わったことがあります。昭和20年の三月、大阪空襲の夜のことでした。
わたしは小学五年生で京都に住んでいました。真夜中に空襲警報でたたき起こされ、庭の防空壕へ避難しました。しばらくしてラシオが、何十機かの敵機が大阪を爆撃中だと告げました。
わたしは壕を出て大阪のほうを見ました。大阪の空は真っ赤になり、
「大阪のみなさん、頑張ってください。頑張ってください」
とラジオがさけんでいました。
そのときわたしは逃げ惑う人々の姿を思い描き、なんとかしなければ、しかしなにもできない焦燥にかられたものです。同時に京都が無事でよかったというエゴイスチックな安堵をおぼえ、子供心にうしろめたかった。
あれから66年ぶりに同じ思いでいるわけです。
震災発生から約2週間、テレビ報道の中心は被災地がら福島第一原発に変わってきました。4基の原子炉のうち3基が爆発を起こし、火災が発生、使用済み燃料 のプールから放射性物質が漏れ出したということです。素人にはよくわからないが、原子力事故の国際指標はレベル0から7までの8段階あるそうです。今回の 事故はレベル6にあたり、チェルノブイリの事故がレベル7だったから、大変なわが国の危機です。
なかでも深刻なのはMOX燃料を使っている3号機だそうです。このMOX燃料というのはウランにプルトリウムを混合させたもので、ウランよりも 20C-40C融けだす温度が低いらしい。それだけ炉心溶融(メルトダウン)を起こしやすく、いったんそうなると次々に核分裂が起こって制御不能になると いうことです。そうなると東京も放射能汚染にさらされないともかぎらない。危機感を煽るつもりはさらさらないけど、わからないなりにゾッとせざるをえな い。
東電社員ら約300名の決死隊が現場で必死の保全作業をしているそうですが、30日現在事態が改善されたという発表はありません。放射線による汚染は人体に影響ない程度だと政府発表は繰り返しますが、100%信じる者がいるかどうか。
この状態は敗戦が決定的になった昭和19年後半から20年夏にかけての日本を思い出させます。19年10月、フィリピンでわが神風特攻隊が敵艦隊にたい し、初の体当たり攻撃を敢行しました。国民はみんな衝撃をうけ、隊員たちの悲痛な自己犠牲に涙しました。現在生命がけで原発事故と戦っている「決死隊」の 姿は報道されていませんが、漏れ聞いた者たちは同じ思いでいるはず。報道されたら日本中に感動の波がひろがるでしょう。被災地に何かのかたちで寄与せねば ならないとか、日本中が心を一つにして国難を乗りきろうとかいうメンタリテイは戦時中そのままです。「決死隊」は当時にまして賞賛されるべきだとわたしは 思います。
19年の末から20年の夏まで特攻隊の体当たり攻撃はつづきました。当時の指導者たちは内心では絶望しながら一縷の望みにすがって、すでに常套手段となっ た特攻攻撃を続行しました。国民はもう手のつけようのない思いでそれを見ていた。日本は神の国である。このまま滅びるはずがない―。根拠のない信念にす がって戦争のなりゆきを見守るしかなかった。、
いまわたしたちは手のつけようのない思いで福島第一原発の事故処理を見守っています。心を一つにして国難を乗りきろうとか、それぞれの立場で復興に力を貸 そうとかいうのが、日本は不滅の神国だ、かならず神風が吹くなどという戦時中の空虚な信仰とはちがって、具体的な結実を見るように祈ってやまないところで す。対戦中の無力な銃後少年はいま、やはり無力な銃後ジイサンとなって事態を見守っている。