mv

2014年10月29日 3:11 AM

青い顔の月曜日

サラリーマン時代からわたしは月曜日が苦手でした。月曜の朝、ああ今週も土曜日まで毎日(たしか昭和40年ごろまでは週6日制でした)と思うと、片付けなく
てはならぬ6つの大きなゴミの山を前にしたようにうんざりしたものです。
それがいまもつづいています。勤めがないのになんでこうなのか。考えるうちに 開高健の著作「青い月曜日」を思い出し、書庫のすみに長年眠っていたのを引っ張り出して読み始めました。ところがこれがすばらしく面白い。月曜の夜を読書に費やして、ブログの更新をわすれていたという次第です。
ともかくわたしにはサラリーマン生活がイヤでした。べつに冷遇されたわけでもないし、横柄な上司もいるにはいたけど、とくに多いわけでもなかったのです。それでも勤めは辛かった。一日も早く辞めたいと願っていました。
いま考えると、わたしは毎日寝不足でした。夜遅くまで小説を書いたり調べ物をしたりしていたのです。毎朝目覚時計の音で叩き起こされ、死ぬ思いで寝床から這い出して朝食もそこそこに満員電車に揺られて出勤。会社へ着いてデスクに向かい合った途端あくびが出る始末でした。終業の5時まで青い顔で居眠りせずにすごすのが最大の苦痛でした。こんな社員を会社は管理職のハシクレにしてくれたのですから、世の中いまほどセチ辛くなかったのでしょう。
さて開高健「青い月曜日」ですが、戦時中の中学生、戦後のバイト学生の生態が見事に活写されています。動員で操車場へ駆り出された期間中のさまざまな事件、大阪大空襲下の市民の有様、飢餓との戦い、戦後の市民の右往左往ぶりなど、3歳年下のわたしには半分なつかしく、半分はこんな酷い目に会わずにすんだ自分の幸運を思い知らされた一冊でした。むかし読んだ小説だけれど、老いたいま読むとべつの味わいがあり、若い人にもっとも読んでほしい小説です。いまの日本が当時とどんなに変化したか、ほとんど別の国になったことを知るよすがになります。
あとがきによると、開高氏は英語のブルーマンディ、「二日酔い」「憂鬱」からこ
の題をつけたようです。「時代がどう変わっても若さのもつこの苦い胸苦しさに変りはあるまい」と彼は書いています。わたしの「月曜日の気の重さ」とは違った意味合ですが、わたしには老いてもブルーマンディがつきまとうのです。
サラリーマン時代と違って寝不足ではないし、通勤の義務もありません。月曜日にはプロ野球中継がないし、面白いテレビ番組もない。が、そんなことでブルーマンディになるとは思えません。
ではなにが原因かと云うと、毎週のように病院通いの義務?があります。ともかくここ数年、わたしは医療機関のお世話になることが増えました。月一度の糖尿検査、最低月一度の歯のチエック、泌尿器科、眼科、神経内科、呼吸器科などの経過報告、受診が平均月に一度はあります。先週は虫歯を抜いて3日クリニックに通いました。
「ああ今週は神経内科か。やれやれシンドイなあ」
と云う思いが胸にあって、月曜日の憂鬱に襲われるのです。
まったく各医療機関とも満員で1~2時間待ちなんてことが通例ですからね。まして大病院の予約はしばしば午前中になります。わたしは若いころから徹夜で書いたり調べたりしてきたので朝起きが大変。2日ほど前から寝る時間を調整しても、当日はサラリーマン時代のように青い顔ですごさねばなりません。病院へ行くと病気になる、はわたしには真理なのです。
こうなりゃ物は考えようです。医療機関の世話にならず、禁酒を中止し、いろんな体操、リハビリもやめて気楽にすごし、病いに倒れても80まで生きたんだから良いではないか。そんなわけ知り顔の誘惑のささやきがきこえます。物書きでなかったら、その声に同調したかもしれません。
けど、まだ書きたいのですな。わたしが罹患している一番の重病が書きたい病です。開高氏の向うを張って「青い顔の月曜日」が書きたくなりました。
同氏の「青い月曜日」にあるソーラン節の替え歌を紹介しておきます。
「親方ヘッペして美味え酒飲んで
おらちゃ せんずりかいて茶も飲めねえ
ヤーレン ソーラン ソーラン ソーラン
ハイハイ」
なるほど青春の憂鬱ですな。