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2013年5月6日 1:37 PM

頑張れリハビリ、長嶋茂雄!

長嶋茂雄と松井秀樹が国民栄誉賞を授与されるセレモニーを見て、さまざまな感慨にかられました。とくに長嶋には多少の縁があります。他人事とは思えません。
長嶋は昭和11年生れ。わたしより3歳下です。学生時代、彼のプレーを一度、秋田へ帰省の途中神宮球場で見て、すごい選手が立教大ににはいるもんだと驚嘆していました。
打撃練習の打球の速さが群をぬいています。しかも守備が華麗で、一つ打球を処理するたびに派手な動きで観客をわくわくさせます。当時の東京六大学の通算ホームラン数8本の記録保持者でした。
最初南海入りを噂されたのですが、結局昭和33年に巨人へ入りました。一番の人気球団へ入ったことが、彼にとっても日本のプロ野球にとっても幸運だったと思います。
入団当初、長嶋は一番打者でした。四番には打撃の神様川上哲治がすわっていました。
プロ入り最初の試合は対国鉄スワローズ戦。相手投手は大エース金田正一でした。たしか土曜日で、わたしは京都の河原町蛸薬師の喫茶店の白黒のテレビで、友達と一緒に試合を見たのです。
金田の快速球と変化球に長嶋はバットがあわず、4打席4三振に斬って取られました。いずれも空振りの三振でした。。
「ふうん、やっぱりプロはすごい」
「金田はプロの面目を背負って必死の投球やったな。目の色が変っていた」
わたしたちは感心して云いあいました。
だが、当の金田は記者たちに感想をもとめられて、
「空振りしたときのバットの唸りがすごかった。あれはただもんやない」
と長嶋の力量をみとめていました。
その言葉どおり、ほどなく長嶋は金田からヒットを打つようになったのです。たちまち長嶋は「日本で唯一の大リーガー」と呼ばれる攻守走をかねそなえた大スターになりました。
有名な天覧試合の決勝ホーマーをわたしは大阪駅前の闇市あとの居酒屋のテレビで見ました。中日の大エース杉下茂との対決を楽しみにしていたのですが、杉下はもう引退していたのかどうか記憶にありません。会社から帰って巨人の試合を見るのが無上の楽しみでした。長嶋はチャンスに強く、ここというときに強打をふるい、守備も華やかでスピードと躍動感にあふれていました。
ショートの広岡達郎の美しい詩的なフィルディングとは好対照で、二人のプレーを見ていると、その日あったいやなことをわすれ、翌日また出勤する元気が出たものです。窮屈な会社づとめで窒息しかけていたわたしは、解放感そのものの長嶋のプレーを見て生気をとりもどしました。そんな意味で長嶋の世話になった者はわたしの同世代に何百万人もいるはずです。かれの国民栄誉賞受賞に多くの人が「なんでいまごろ」とびっくりし、そろって祝意を表したのも当然のことでしょう。安部晋三首相の人気取りイベントではあるけれど、今回はさほど気になりませんでした。
長嶋は昭和49年に現役引退しました。後楽園球場の引退試合をわたしはナマで見物しました。予想よりも凄みのある声で彼は挨拶し、
「長嶋茂雄は本日引退しますが、わが巨人軍は永久に不滅です」
の名文句で満場をうならせました。報知新聞の名物記者が書いた文句だったのですが、違和感はまったくなし。そのあとの場内一周で長嶋は感極まって涙にくれ、わたしももらい泣きしてしまいました。わたしのサラリーマン生活はプロ野球があってこそつづけられたーそのことがはっきり実感されたのです。
長嶋はこのあとすぐに監督に就任しました。わたしは当時文筆でなんとかメシが食えるようになっていて、週刊誌に長嶋の半生記を連載することがきまりました。記者とともに何度か長嶋に会って話をきいたのです。場所は赤坂の長嶋いきつけの中華料理店の個室。
長嶋は全身から強烈なオーラをはなっていました。彼が部屋に入ってくると部屋全体がパッと明るくなったものです。そうか、これがほんもののスターというものだな。わたしは感嘆し、人間観が変わったように感じたものです。長嶋はケチな打算や思惑に無関係な、純粋、率直な野球選手でした。
その後10年以上たってからわたしは新浦壽夫のことを雑誌に書くことになり、ジャイアンツが秋季キャンプ中だった宮崎へ取材にゆきました。ほぼ満員のスタンドの通路で練習を見物していると、監督だった長嶋が大勢の記者をひきつれて通路にやってきました。前回会ってから10年以上たっている。わたしのことなどおぼえていないだろう。そう考えてわたしは挨拶なしでかれをやりすごそうとしました。すると彼は私に気付き、ぱっと近づいてきて、
「先生、しばらくでございます。お元気ですか」
と挨拶してくれたのです。記者や周りの人たちはびっくりして「だれやろ、あのおっさんは」と云う顔でわたしを見ていました。
もちろんわたしは大いに気分がよかった。同時に彼が大スターの座を維持するために裏でどれだけ努力しけきたかがわかったような気がしたものです。松井秀喜に毎日素振りをさせたのも、同じ努力を松井にもとめたのでしょう。
ご存知のように長嶋は数年前,脳梗塞で倒れて右半身が動かなくなりました。不自由な体を引きずって観客の前に現れる彼に、正直いってわたしは違和感がありました。往年の溌剌としたイメージを彼みずからが壊しているように思ったのです。
だが、表彰式を見て考えが変わりました。かれが観客の前に姿をあらわそうとすれば、すさまじいリナビリを克服せねばならなかったはずです。不自由な体を引きずって彼はわたしたちにこう訴えかけているのです。
「年をとったら健康に注意なさいよ。ケアしないとこんな不自由な体になります」
「もし倒れてもあきらめてはいけませんよ。リハビリで頑張ればどこへでも行けるようになります」
彼の姿からわたしはそんなアピールをききました。長嶋茂雄はわたしたちにとっていまも時代の大スターなのです。
ふと思いだしました。打撃の神様川上哲治氏はどうしているだろうか。まだご存命だと思うのですが。