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2013年3月26日 1:52 AM

ああ老人の初体験

先日、京都の地下鉄東西線の車中で50歳ぐらいの女性から席をゆずられました。生まれて初めての経験です。ああおれも他人の目にはヨボヨボのジイ さんに見えるのか、と大いに落ち込みました。わびしき初体験だったのです。むかし若者が赤線などで行なった初体験とは大違いでした。 (さらに…)


2013年3月18日 11:12 PM

悪臭を芳香に変える楠公さん

楠木正成のこもる赤坂城へ幕府の大軍が押し寄せたさいの、楠木軍の戦法はあまりにも有名です。断崖をよじ登り塀にとりついた幕府軍の兵にたいして、楠木軍は岩石や材木を投げおろし、熱湯や糞便を浴びせかけ、はては糞便を煮立ててあびせかけたのです。
煮立てた糞便とはすごい。武士道に沿った矢合わせや名乗りあっての一騎打ちが売り物だった幕府軍はさぞ面食らったことでしょう。読んでいるわたしたちもその悪臭まみれのう戦闘場面にへきえきしてページをとじたくなります。
話は変わりますが、わたしは飼い犬のビーグル犬「ラビ」をつれて毎日7000歩から10,000歩をウオーキングします。「ラビ」は飼い主のわたしが云うのもナンだけど、稀にみる器量良しで、可愛い、可愛いと友人、知人の人気者です。その「ラビ」がウオーキングの途中よその犬の排泄物があると、すぐに顔を近づけて匂いを嗅ぎます。あわててわたしはリードを引いて遠ざけるのですが、ふっと赤坂城攻防戦を思いうかべました。
人間はいつから人間の排泄物に怖気をふるうようになったのでしょう。赤坂城の時代は、糞便は大切な肥料でした。京都近郊の農民は町家へ料金を払って汲み取らせてもらったらしい。汲み取り料を払う側がのちの世とは逆だったのです。
幕府軍は糞便を浴びせられて閉口しました。当時からそれは汚いものであり、同時に貴重な肥料でもありました。
いや、そんなに昔のことではありません。わたしが小学生のころ、住んでいた北白川界隈にはたくさんの畑地がありました。当然、肥溜めもありました。ある日、子供が誤って肥溜めに落ちて死んだというニュースが流れ、
「うわあ、犬死にやなあ」
とわたしたちは顔をしかめて云いあったものです。
排泄は自然の営みです。なんで人間だけが排泄物を嫌悪するのでしょう。わたしはこのテツガク的命題について考えこみ、本日結論を得たのであります。
人間には向上心があります。生まれつき以上の能力をもちたい。一歩でも神に近づきたいと思って努力します。だが、人間はいくら足掻いても生理の枠から出られません。いくら能力を得たとしても人間の半面は動物であり、動物であることを万人がまぬがれないのです。
たとえばわたしが一生懸命小説を書いているとします。その間わたしは自分の能力に自惚れています。ひょっとして名作が書けるのではないかと高揚感にあふれています。そのとき便意をもよおしてトイレに立つときは、なんとも時間が惜しい。人間であることがつくずく情けなくなります。せっかく人間以上の存在になったつもりで乗りに乗っていたのに、自分が半面バカな動物にすぎないことを思いだしてしまうのです。
排泄物に対する嫌悪感はこんなところに原因があるのではないでしょうか。人間には崇高な側面は数多くあります。だれだって知的な作業に没頭しているときは、人間以上の存在になった気でいられます。だが、排泄という行為によって現実に引き戻される。そこから嫌悪の念が生まれたのではないでしょうか。
そんな意味で排泄とセックスは同次元にあります。でも、セックスについて人は甘美な夢を見るのに、どうして排泄はダメなのだろうか。
肥溜めに落ちて死んだ子供を、
「犬死にやな」
などと云っては犬が気をわるくするかもしれません。
それにしても楠公さんは偉大です。悪臭のなかの合戦を忠君愛国の聖戦に変えてしまうのだから。


2013年3月12日 11:46 PM

震災バンザイ族

3月11日神戸へ行ってきました。湊川神社と光厳寺へ参拝かつ見学するためです。案内人は例によって山本健治氏。下調べをきっちりすませてくれるので、こちらは頼りにする一方です。

湊川神社はご承知のとおり楠木正成戦死の地です。明治以前は田のなかにポツンと墓があっただけらしいけど,勤王思想の高まりを受けて政府が建立を決意し、明治5年に創建したということです。光厳寺は正成が湊川合戦に敗れ、弟正季とともに自害した寺です。湊川神社の宝物殿で正成の兜や筆跡が展示されているというのも見学に出かけた動機でした。
3月11日は東北大震災の記念日です。別段それを意識して出かけたわけではないのに、JRで神戸へ向かうあいだ、窓外の景色を見て阪神淡路大震災を思いだしました。

震災直後は西宮をすぎたあたりから被害をうけた住宅やビルの青天幕が目につきはじめ、風景全体が砂塵をかぶったように灰色に見えました。JR線は住吉どまり。以後はバスで市内へ入り、見るからに堅牢なビルが倒壊したり、中段でつぶれたりしているのを見て言葉を失ったものです。そのときも山本氏に案内してもらいました。
当時にくらべて阪神間の復興ぶりには目を見張らされました。とくに西宮以西は見るからに近代的な工場やビルが建ちならび、住宅街も整備されて明るく清潔な印象です。以前よりも街が発展した感じをうけました。神戸市内の山の手側の風景も気のせいか以前よりも美しく豊かに見えました。

震災以後わたしは何度かコンサートを聴きに神戸へいったのですが、こんな感想を抱いたのは初めてです。やはり3、11のことが頭のすみにあったのでしょう。
思い出を引きずって湊川神社へお参りしました。若いころ訪ねて以来何十年ぶりかの参拝です。宝物殿に展示された正成の自筆や戦闘用の兜、正成が後醍醐天皇に拝謁したときの絵などがとても参考になりました。光厳寺もゆっくり見物できました。

湊川神社は戦災で焼け、戦後再建されたともことですが、堂々たる官幣大社の風格のにじむ建築で参拝者も多いようです。進駐軍は昭和天皇に人間宣言をさせましたが、正成の忠君愛国神話はまだ生きているらしい。IT時代になっても日本人の国家意識にはさほど変化がないようです。
帰りの電車のなかでふたたび阪神淡路大震災を思いだしました。目の前の立派に復興成った近代都市の風景と、それを支える日本人の心の忠君愛国精神の対比が深く印象にのこりました。

山本氏の話では東北大震災の復興は遅々として進まず、地元の人手不足などさまざまな問題もあるようですが、一部伝えられたように仙台などで震災景気を満喫している層もいるらしい。そういえば淡路大震災のおりも似たような現象がありました。
震災当日、被災地に食糧などを車で運んで高値で売り、儲けた者がいたらしい。目端がきくというより火事ドロに近い奴らはどこにでも いるようです。
わたしは名門のゴルフ場、茨木カントリーの近くに住んでいます。震災当時きいた話では、二つの某大手建設会社の社長が茨木カントリ ーで顔を合わせ、抱き合って祝福しあったということです。嘘かホントかしれないけど、きわめてありそうな話です。
作家の黒岩重吾さんは西宮の高台に住んでいました。震災のおり数日連絡がつかず、どこかホテルへ入っているのだろうとわたし は勝手にきめていました。やっと電話がつうじるようになって連絡したところ、まだ家で暮らしているとのこと。書庫を離れ ると連載小説が書けないので残っているということでした。
黒岩邸で不足している品物などをきいて、わたしは翌朝見舞いに駆けつけました。馴染みの酒場のマスターの車で、そのマスターの運転で出かけ たのです。主要道路はどこも不通に近かったので、裏道をたどりたどり行きました。思ったより早く着いたのですが、黒岩家はまだ睡眠中 だったのです。仕方なく高台の黒岩邸を離れ、阪急夙川駅の近くの喫茶店にはいりました。

まだ午前9時か10時だったのにその店は満員 でした。
入るなり異様な気配を感じました。客は全員が男で、マトモでない雰囲気の者ばかり。ほぼ全員が携帯を手にどこかと話しています。
「あのへんはどうや。どこかの買いが入っとるか」
などという声がきこえます。
そうか。わたしは納得しました。全員が不動産売買の関係者なのです。震災こそ絶好の儲け場だとばかり大挙して繰り出し、商談をかわ しているのです。
なるほど。この危急のおり、金儲けに気のまわる連中が世の中にはいるのだ。わたしは大いに勉強になりました。不動産関係といっても まともな商業人らしいのは目につかず、一目でそれとわかる不穏な雰囲気の男ばかりでした。

気味がわるくなってわたしたちは早々にその 喫茶店をあとにしました。災害を金儲けのチャンスととらえるその連中のバイタリテイにに圧倒されたのです。こんなことで驚くようでは 文士としてまだ修行がたらんと反省させられたものです。
あの震災の体験をわすれたように神戸は再建され、以前よりも繁栄しています。災害をむしろ再建のチャンスととらえるしたたかな人間 が、あやしげな不動産業者だけでなく、神戸市民のなかに多数いたのでしょう。

こう考えると、人間のバイタリテイは公共的に働くと復興 につながり、私利私欲に働くと火事ドロになると云えるようです。
これらのことから、湊川神社参拝はじつに実り多き体験でした。楠木正成の人物像も、靄のなかからしだいに浮かんできたような気がし ます。わたしも現在の不遇を浮上のチャンスに変えるバイタリテイをもたなくてはならない。みずから奮起をうながす契機になりました。人生をあきらめずに努力をつづけるつもりです。