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2013年8月27日 3:40 PM

人生80にして迷う

昨日2か月ぶりで京大病院で診察をうけました。小脳変性症はとくに変化なし。日によって頭がグラついたり、歩行中フラついたりしますが、日常生活には特に支障はりません。
禁酒がつづいて不便なだけです。飲み屋の払いが減って妻はよろこんでいますが、夫婦の晩酌の楽しみがなくなったのは物足りないようです。人生、二つ良いことはない、とあらためて認識しました。
担当の上田先生は禁酒は絶対必要といいます。ホンマかね、とわたしは疑問なのです。 (さらに…)


2013年8月20日 4:08 PM

静かなる激動

週刊誌によると、ネット通販の最大手アマゾンがワシントンポスト紙を買収したそうです。その2日後、ボストングローブ紙も身売りを表明したらしい。前者は日本の全国紙にあたる一流紙。後者も名門紙で、メディア関係者は大きなショックをうけたようです。
IT時代になって活字媒体はどこも大変そうです。朝日新聞は公称760万部だが、読者が減り、500万部時代を覚悟して地方支局を縮小したり、販売店に転業をすすめたりしているそうです。都内では100店がすでに廃業したらしい。電子版の読者も増えず、やっていけるコスト構造の把握に苦心惨憺だということです。
新聞の売り上げにしめる諸経費は原料費や製作費などで6割だそうです。ネット化すればそれら経費は不要になり、社員も大幅にリストラされます。新聞販売店は前述の通り不要になり配達員も拡張員も失職します。機械が人にとって代わる。チャップリンの「モダンタイムス」の再来というわけです。人口の減少にあわせて機械の発達は好ましい現象のようですが、チャップリンの時代とはわけが違う。ITの発達は文明にも人間の脳にも大きな影響をあてえているようです。
いまの様相では新聞はアマゾンなどネット通販業者にネタを供給するだけの下請けになりかねないといわれています。レコード会社はiPhoneの普及によりCDが売れなくなり、せっかく開発した楽曲をiTunesへ供給するようになりました。街のレコード店は壊滅です。
出版界にも同じ不安があるようす。以前はどこにでもあった書店は大型店が少数残っているだけになりました。むかしは街へ出ると書店とレコード店めぐりをしたものですが、いまは行く場所がありません。しかも本とCDは自宅にたくさん在庫されていますが、どちらもゴミ同然で金になりません。経済の面からいえばゴミにせっせと金をつぎこんできたわけで、IT長者から見るとさぞアホな話でしょう。。
しかし、今年のようにクソ暑いと、外出せずに本が買えるのは便利でありがたいです。広告や書評を見てアマゾンに連絡すれば配達されるのだから、つい利用します。広告が目に入らず役に立つ本を知らずにすますことも多いのででょうが、いまや習慣になりました。
この時代、売れる本となると媒体が話題にします。その効果で信じられないほどの大ベストセラーになるようです。そんな本が出てくれないと出版社は儲からず、われわれ非力な文士はますます本が出版されなくなるので、フクザツな気分ながらベストセラーズには拍手パチパチです。
「あんまり売れそうもないけど、まあ良い作品だから」
という判断で出版社が本を出してくれるケースがむかしはありました。いまは考えられません。山口瞳さんなどは、
「売れる小説にろくなのはない」
と公言していました。むろんヒネッた云いかただけど、文士にそれなりの気概があったものです。
すこしは時代を知らにゃいかんというわけでわたしもパソコンで原稿を書くようになりました。だが、年寄の冷や水の言葉通り、3年たっても一向に上達しません。鉛筆で書くよりも3倍の時間を要します。おまけに疲れます。文章を考えるのと間違わずにキ―を叩くのとの双方に神経を使うからでしょう。一仕事終わるとぐったりします。最近体がふらつくので検査をうけたら小脳変性症と診断されました。酒が原因だといわれましたが、そんなに大酒飲みではないし、真因はパソコンでないかと疑っています。老人にパソコンでの文章書きは大きな弊害をもたらすのではないか。医者にいっても相手にされないから、いまやっている仕事が終わったら鉛筆書きにもどしてみるつもり。案外医学に貢献できるかもしれませんぞ。
わたしはもっていませんが、スマホの普及は活字文化の行方をますます暗くするようです。携帯にパソコンがついたような端末で、ゲーム、映画、音楽、カメラ、電子辞書、電卓、電子書籍、メモ、文章作成、なんでもできるらしい。スマホで電子書籍は読めますが、人間刺激の強いほうへ興味をそそられるのが本能です。ゲームや映画をおしのけて電子書籍を開く者が多いはずがないのです。
電子書籍というやつ、わたしもキンドルで読んでみました。従来の書籍とはまるで違います。書籍ならたとえば「赤と黒」でも「異邦人」でも「罪と罰」でも読んだあと書棚に残ります。そこに「赤と黒」「異邦人」「罪と罰」があるという安心感、所有感が保証されます。
栄養価十分なものを食べた、身になったという実感があります。充実した本棚のそばに立つと自分自身が充実したような達成感をおぼえるのです。
ところがキンドルはそれがない。読み終わるとあとは一個の端末だけ。内容は宙に消えてまったく心もとないかぎりです。読んだという腹膨るる思いがないのです。読もうとすればいつでも呼びもどせるのですが、実物があるとないのとでは大違いです。そのあたりの感覚がアメリカ人とは違うのでしょう。良い端末ができたら本は売れるといわれますが、日本では無理だろうとわたしは思っています。
先日京大病院へいって新しい外来棟が任天堂の経営者の寄付によるものだと知らされました。ゲームのことはよくわからないけど、同社はゲームソフトかなにかで隆盛を極めている会社です。
わたしは岡田尊司氏を思い出しました。氏は京大医学部卒の脳科学者で、著作{脳内汚染」でテレビやゲームが子供たちの脳にどんな悪影響をおよぼすか最初に指摘、大評判になった人です。その岡田氏の学んだ京大病院へゲームの任天堂が巨額の寄付とは。罪ほろぼしなのかどうか。世の中はなんとも複雑です。静かに激動しているのです。

 

 

 


2013年8月13日 3:21 PM

8月11日はタン、ドゥン記念日

8月11日はわたしの大きな記念日になりました。中国人の作曲家タン、ドゥンの「女書」をNHKの「クラシック音楽館」で聴いたのです。中国人についてもっとよく知らねばならぬと生まれて初めて思いました。
最初新聞のテレビ番組欄で、「作曲指揮タン、ドゥン 世界初演」の文字を見たとき、わたしは二重にうんざりしました。また小難しい 現代音楽か、それも作曲指揮が中国人か、と思ったのです。ふつうなら聴かずにパスするところですが、巨人広島戦の中継が終ったので、 やむなくEテレにチャンネルを切り替えました。 (さらに…)