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2015年7月28日 2:13 AM

クソ暑い夏の歌

大学を出て社会人になったころ、大阪の夏は猛暑だと思っていました。仕事は
事務機器のセールスマン。どこへいっても玄関払いの毎日でした。すべての会社から閉めだされた思いで街をうろついたのですが、コンクリートの歩道に
照りつける陽光の照り返しで、大阪の街はひときわ暑かったものです。
「クソ暑いな大阪市内は」
泉南出身のK君という同僚がボヤいていました。
クソ面白くもない、クソの役にも立たない、とかは使っていました。しかし、
暑さ、寒さにクソをつける用法があるのを初めて知りました。以来、わたしも
「クソ暑い」「クソ寒い」を常用しています。 (さらに…)


2015年7月21日 3:02 AM

平尾城のバカ話

もう1週間前になりますが、堺市の美原区へいってきました。河内平尾城祉を
見物するのが目的です。
平尾城は楠木正成の建てた小城で、正成の三男正儀(まさのり)がここに拠っ
て幕府軍と激戦を展開しました。正成は忠臣の見本とされた人ですが、その
三男正儀は吉野の南朝を裏切って北朝方(幕府方)へ味方し、また南朝方へ
寝返って楠木一族をなんとか室町時代の末まで生き残らせた人物です。
平尾城は正儀が南朝方へ再寝返りし最初に幕府の討伐軍と戦った城でした。
歴史上は大して重要な城でもないのですが、小生の書いている「新楠木三代記」のラストシーンとなるので見学にゆきました。小説は臨場感が必要なのでなるべく現場を知るほうが良いのです。
さて1週間前といえば酷暑がつづき、あすから台風3つが日本を襲うとかで、
天気の崩れが予想されていました。昼間は気温34~35度が予想されるらしい。そこで今のうちにという気で午後3時前に家を出ました。夕刻少しでも涼しい
ころに見物する気で出かけたのです。
南海高野線で萩原天神駅に着いたのが午後4時ごろ。タクシー乗り場がないのにガクゼンとしました。無人駅なので呼ぶあてもない。猛暑のなかを城跡まで約4キロを歩くわけにもゆかず、しばらくウロウロ。暑くて目がくらみました。地図
で見ると付近に堺の東区役所があります。そこへたどりついて、守衛の男性に
タクシーを呼びたいと申し入れたところ、
「そこのポスターの番号に電話をかけなさい」と教えてくれました。
いわれたとおりポスターの番号を呼びだすと、なんだか要領を得ません。
「お客さん、どんな車椅子に乗ってはりますか。障害者手帳は」
と訊かれてようやく介護タクシーの会社だと気付きました。守衛に文句をいった
ら、公衆電話のある庁内の売店に案内してくれました。お姉さんに教わって
2,3の社を呼び出し、やっと区役所の正門前に迎えに来てくれる約束ができました。
ところが待てど暮らせどタクシーは来ない。涼しい庁内で待つうち売店のお姉さんが走ってきて、タクシーが待ってると教えてくれました。小生にすれば、地元茨木の病院で頼んだタクシーが着くと、運転手が「○○さん、タクシーです」と呼んでくれるのが当り前だと思っていたのです。あわてて駆けつけると、運転手はすっかりシラけて、もう帰ろうかと思ってたというわけです。ともかく平尾城祉へいってくれというと、そこがどこか運転手は知りませんでした。地図を見せてやっと納得し運んでくれたのですが、同じ大阪府下でも勝手の分らぬ場所へゆくのは外国へゆくも同然だとわたしは思いました。大阪は広いで。
しばらく坂をのぼり、地図のさつき野2丁目へきました。私は茫然としました。周
辺に城の石垣や堀の跡などはなく、整然と開発された住宅街がひらけていた
のです。家々は同じ瀟洒な造りで、それが一軒一軒庭付きで、高級感を強めていました。堺にこんな高級住宅街があるのかとおどろかされる風景でした。大成学院大の敷地が昔の城の曲輪(本丸、二の丸などの平地)だったようです。
わずかに土塁の跡、河内鋳物師の工房跡に記念碑が立っているだけです。
しかし、こちらもプロの物書き。近くの山並みの姿や頭で描きだした城のありさま、北西の狭山池方面にひろがる敵陣の模様など、かなりの参考になりました。
いまや小説は何か話題性がないと売れないようです。お笑い芸人の又吉ナントカいう人が芥川賞をとり、100万部売れるそうな。話題性。わたしが話題になるとすればなにかいかがわしいことをやるしかないのでしょう。
同じ楠木系列でも有名な千早城、赤坂城はきちんと残されているのに、平尾城ときたら石碑しか残っていませんからね。
弘和三年(一三八三)。後円融上皇が可愛がっていた官女按察局(あぜちのつぼね)と足利義満の仲を疑い、出家させたところ、義満が怒ったので上皇は自殺をはかったという話があります。朝廷にも庶民と変わらぬバカ騒ぎが多々あったようです。

天皇の女官が楠木正成と平尾城でデートしていたなんで話を書いたら、平尾城も有名になるのかしら。「そんなアホな」と笑われたくないのが、わたしの最大の弱点でしょうな。


2015年7月13日 2:55 AM

それでも怖い認知症

他人の名前をわすれたり、知ってるはずの語が出てこなかったりすることが
最近よくあります。とくにテレビに出てくる役者さんの名をしばしばわすれ
ます。最近も若尾文子さんの名前をわすれ、
「これ、だれだっけ」
と妻に尋ねて教えてもらいました。しかも、
「若尾文子も歳とったなあ」
などと自分の老化は棚にあげて他人のせいにしたのです。罪深い老年期です。
だが、最近の大失敗は旧友へのハガキでやらかしてしまいました。
秋田県の大館市に私と同い年の友人がいます。中学生のころは毎日一緒に野球をやった仲間でした。名は吉田一雄くん。いまは大館市の商店街で親代々の時計店を営んでいます。
御多分に漏れず同市の商店街もシャッター街化しましたが、吉田時計店は健在。おもに修理業で頑張っているらしい。かたわら地元の野球史を執筆、古い日本映画の会など主催してけっこう多忙のようです。不景気の時代にめげずコツコツと働いて親のつくった借金を全額返済したとのこと。浮き草家業のわたしなんか羨ましくなるほどの堅実な人生を送ったようです。
その吉田くんが先日近況報告のハガキをくれました。ちょうど多忙な時期だっ
たので何日か返事を出しそびれ、なんとか当方も返事を出しました。
ところが文中で大失策をやりました。「大館鳳鳴高の同期生たちも親しい仲間
が死んでしまったので、今回は同期会を欠席する」という意味の文章を書いた
のですが、大館鳳鳴高を鵬鳴高と書いてしまったのです。
鳳鳴校と鵬鳴高。一字の違いですが、自分の出身校を書くのに誤字を使うなどとんでもない話です。
書いた瞬間何だか変な気がしたのですが、考えても気付かず、ポストへ入れてから間違いをさとったのです。
「うわあ、えらいこっちゃ。ボケたと思われる」
私は大いに慌てました。
物書きがボケたら一巻の終わりです。「アベはもうあかん。再起不能や」とい
われかねません。
わたしは翌日吉田くんに電話をいれ、ボケたわけではない、単純ミスだと説明
しました。ところが吉田くんは落ち着いたもので、
「おらたちもそういう年になったということだべ」
と一向におどろきません。人生の終わりについての覚悟の違いを思い知らされた気分でした。
わたしはまだこの世に未練があってジタバタと動きまわっています。明日も河内の平尾城祉を取材に行く予定ですが、あまりに暑くなりそうでためらっています。
吉田くんの落ち着きが羨ましい。刺戟がないから落ち着いていられるのだとも思うけど、刺戟がないのは当方も似たようなもの。ロト7でも的中しないかしら。