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2016年10月12日 6:27 PM

ドンの値打

 ドンの値打
 10月10日(月曜日)夕方になっても夕刊が来ないので、今日は休日だと気づきました。最近は馴染みのない休日、祝日がやたらと多 
くて閉口します。日本人は少々休みすぎではないだろうか。夕刊に待ちぼうけを食わされたり、コンビニの店頭で今日は週刊誌の発売日でないと知ったりするたび、休みすぎの危機を覚えたりします。
 わたしがサラリーマンだった時代は土曜半ドンを待ち焦がれました。わたしが会社員生活を辞める間際になって週休2日制が導入されたのを思い出しました。それまでは土曜日半ドン制でした。月曜から土曜日まで通常通り午前9時に出勤日がつづき、土曜日のみ正午で勤務打切りという制度です。これが土曜日半ドン制ですが、それならドンはどこから出た語なのか。土曜日を待ちかねた一員として考えてみます。
 わたしはドンは砲撃音だと思っていました。明治の初期、陸海軍の測候所が正午の時報代りに空砲を撃ったという記録があるからです。サイレンの普及とともに廃止になったようですが。
 測候所のとなりは練兵場でした。人々は間違えて「練兵場のドン」と呼んだそうです
 オランダ語(ZONDAG)は日曜日または休日の意味です「博多どんたく」はやはり聞き違えのようです。正確には「ぞんたく」です。
 たまには物知り自慢をさせてください。
 スペイン、ポルトガル圏ではドンは尊称のようです。ドン、キホーテ。ドン、ジョバンニなど物語やオペラによく出てきます。
 最近、日本では「都政のドン」だの「五輪のドン」がよく使われています。議員というのは冠婚葬祭の顔出しと業界団体の話をきくのが仕事だそうで、この意味では日本では尊称に当らないようです。都議会や五輪のドンともなれば、さまざまな利権の親分ということになりますかね。
 京都府と高槻市の境界にポンポン山という高さ700メートル弱の山があります。「練兵場のドン」のたぐいで聞き違えかと思ったら、そうではなくて頂上付近の土が特殊で、歩くとポンポンと鳴るから山名がついたそうです。
 それにしても休日が多すぎるとは、わたしの云いすぎでした。PC時代のサラリーマンのしんどさはわが身に置き換えると納得できます。
 PCの不具合で2日間ブログ更新が遅れて、どうもスミマセン。

 
 
 
 


2016年10月4日 12:38 AM

ギッチョの人生

最近、久しぶりで自分が左利きであることを思い出しました。60歳過ぎまで草野球をやっていたので、正確に云うと約20年ぶりになります。きっかけは浴室の磨碍子のドアでした。いつものように左手でドアの取っ手を握り、右へ回して押したのですが、ドアは開きませんでした。
2~3度やってみてやっと成功しました。そのとき気づいたのです。おれはギッチョだった.わすれていた。
世の中は右利き用につくられている。よくも不自由に耐えて今日まで生き延びたなあ。わが身をねぎらう気分になりました。
じっさい浴室ドアを初め冷蔵庫のドア、ボトルの蓋、レールの上を動く硝子戸、本のページなどすべて右利き用にできています。左利きは物の数に入れられていません。よくもギッチョ側から文句が出なかったものです。
それはさておき、旧制中学2年のときわたしは野球を始めました。野球では右利き、左利きのどちらが有利か、当時モンダイになっていました。野球はご存知の通り右利き用にできています。投手、1塁手、外野手3名(左翼、中堅、右翼)だけがギッチョの選手の働き場所です。わたしはガキにしては背が高かったので1塁手に潜り込んでいました。本当は遊撃手、3塁手がやりたかったのですが、ギッチョには割り込む余地がなし。1塁手に専念せざるを得なかったのです。
左打者のほうが有利だと当時は云われていました。左の打席のほうが右の打席よりも一歩1塁に近い。だから左打者は1塁まで一歩だけ速く到着できる。その分内野安打が稼げると云うわけです。
イチローやかつての盗塁王福永豊の快足を見ればこの説も正しいと思われたでしょうが、わたしは別に快足でもなし、関係ないとすぐにわすれてしまいました。
外野手なら右左どちらでも務まるのに、何で1塁手なのかと読者は思われるでしょう。それは高度な野球を見慣れた人の疑問です。当時少年野球はまだ技術的に低レベルで、外野手はヘタクソの代名詞でした。ゆえにわたしは1塁手に専念せざるを得なかったのです。
プロ野球では左利きの打者が大活躍していました。川上哲治、大下弘、それに阪神の金田正奏、金星の下社邦男など良く覚えています。
でも、現在に比べてギッチョはすくない。各球団のラインナップに2~3名は左打者がいる今日に比べて寥々たるものです。これは戦争のせいでしょうか。戦争で多くの左利きが死んだのかもしれない。小説にするには良いテーマです。本気で調べてみるつもり。
さて、草野球をやめて以来、ギッチョのわたしは、この右利き社会でも別段不自由なく生きてきました。浴室の扉が開かなかったので、自分はギッチョだと気づいたほど支障なく生活してきたのです。わたしは書く時は右手に鉛筆を持ち、食事も右手で箸をもちます。ピンポンも右手でラケットをもちます。野球以外は右利きと同じなので、自分がギッチョなこともわすれていました。要は力仕事は左、細かな作業は右と使い分けていたのです。
浴室のドアが開かずに左利きであることを思い出したのは、歳を取って腕の筋力が衰え、それまで左手で取っ手を握り、右へ回して回転させる不自然な技が通用しなくなったからです。
確か一度亡母に云われたことがあります。「お前は赤ちゃんのころ、左手ばかり使うので、右手も使うように矯正に苦労したのよ」 
そうか、文句を言われただけかと思ったら案外世話をやかせていたのだな。わたしは珍しく反省的気分になりました。口うるさい母だったけど、思いがけない苦労もさせたのだなあ。感慨に浸りました。すみませんでした母上さま。