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2017年4月11日 11:19 PM

甲子園をドーム化

2ヶ月以上ブログを休んでしまいました。妻が肺ガンで治療中ですが、これ以
 上休むのも意気地のない話なので、ボチボチ再開します。
 今年は天候不順で迷惑しました。夕刻降り出すことが多い。日課の飼い犬を連
 れての散歩に出るべきか止めるべきかを決められなくて閉口です。うちの犬は
 雨が嫌いで降っている間は動こうとしません。散歩中雨が降り出すとせっかく
 着替えて出てきたのにとボヤきながら即刻帰宅せねばならず、面倒なこと限り
 なし。まあ無理矢理犬にせかされて、サボりたくてもできないことも結構多い
 から、おかげさんで長続きするよと犬に言い聞かせて頑張っています。
 先日の土曜日は甲子園球場で今年最初の阪神巨人戦シリーズの第2戦。午後2時
 試合開始なので自宅でゆっくり見物できるはずが、試合開始直後から雨でした。
 球場は超満員。雨で試合が流れた場合、満員過ぎて球団は払い戻しで大変だな、
 等と余計な心配をしていたら、試合はとんとん拍子に進んで、阪神の先発青柳、
 巨人の先発菅野とも好調で試合はあっという間に3回。両チーム無得点。雨はま
 すますひどくなり、ノーゲームの心配が現実味をおびてきました。
 青柳という投手を私は初めて見ました。これからゆっくり賞味しようというとき、
 審判団が集合してノーゲームの宣告。いやはや、がっかりでした。
 長い人生。私も球場で雨天ノーゲームの憂き目に会ったことが何度かあります。
 好ゲームの昂奮は一瞬で消え、夢の世界から現実社会へ戻った悲哀は重く背中に
 のしかかります。いまなら妻の病気を思い出したというところでしょうか。
 むかし藤井寺球場で降雨(しばらく休憩)に遭遇したことがあります。傘がない
 ので買いにいったらものすごい混雑。到底買える状態ではありません。困ってい
 たら、傘売りのお兄さんが私の顔をおぼえてくれていて「優先的に」売ってくれ
 助かったことがあります。まあビニール傘1本で2千円は高いと思ったけど、不幸
 のドン底にあるときは他人の好意が身に沁みるもんです。まったくあのときはどう
 しようかと思った。以来、日生球場へ行くたびに兄ちゃんに挨拶したもんです。
 今回つくづく思ったのですが、甲子園も雨降り対策としてドーム化すべきではない
 だろうか。いつまでも古い高校野球にこだわっては、野球ファンはいいようにボラ
 れるだけではないだろうか。1本2000円のビニール傘にむらがっていたおっさん、
 おばはんらがあまり金持ちでない様子だったので、ふとそんな思いに駆られたのです。
 世の中人並みにやっていくだけでけっこうシンドイですからね。


2017年3月21日 12:51 AM

ブログ再開

 この1か月ほどブログを休みました。各方面から数多くの問い合わせをいただ
 き、これ幸いと休みをとりました。ブログのことが気になってはいましたが、。
 少々面倒臭くなったのと書くことに困るようになったのとが原因でした。
 今日、妻の映子に、
 「どうしたん。ブログ書けんようになったの。今日皆に訊かれたわ」
 と云われて再開の決心をしました。
 書けなくなったのは映子の病気。それも肺ガン。最初知らされたときは仰天し
 ました。最近では医学の発達でガンは不治の病でなくなったらしいけど、わた
 しはさすが老人で、肺ガンいこーる死病というショックからなかなか抜け出せ
 ませんでした。
 映子は体調不良で医師の診察を受けたところ腫瘍マーカーを最初診られ、変だ
 となって胸部撮影。影があって数日後肺ガン本決まり。2月1日に手術となっ
 て、このあたりとんとん拍子に日程が進んでどう仕様もない日々でした。
 映子とは5歳違い。男女の平均寿命の差もあってあって、わたしのほうが先立
 つものと信じていたのでまったく不意を突かれた心境でした。この日からブロ
 グの締め切り日が来るたびに
 「冗談じゃないよ。それどころじゃない」
 という気がしてお休みをいただいたわけです。何だか仕事の段取りが悪く、書
 き下ろしも遅れて関係の皆様にご迷惑をおかけしたらしいです。すみません。
 2月1日がきました。緊張して病院へ向かいました。長時間の手術によく耐え
 て終わったとき、映子が案外元気なのでホツとしました。
 映子とは長い付き合いです。知り合ったころ競馬と野球に良く誘いました。廃業
 した赤線に下宿して、小説にも書きましたけど、いろいろ苦労させたもんです。
 手術から1か月、本人は何とか術前の体調が戻ったようで、買物などぼつぼつ
 再開しています。ついでにわたしのブログも再開させようという魂胆です。
 この騒動でいつまでもショックを抱え込んだままでいるわけにもいかない。
 わたしもあと何年生きられるかわからないけど、今度の騒ぎでつくづくわかっ
 たことは平穏無事な何でもない1日ほど貴重なものはない、ということです。
 また頑張るつもりです。お元気で。


2017年1月17日 2:10 AM

それぞれのシアワセ

 それぞれのシアワセ
 年があけて妙に多忙になりました。年をとると身体の方々が故障して病院通いが増え、否応なしに忙しくなります。私の場合、長年の
 糖尿病の検査のため月に一度病院通いするのを基本として、腰痛,ひざ痛、泌尿器などに故障を抱え、歯や眼科にも不定期ながら通院
 必要があり、それでなくても治療に時間を取られます。今回は著作2冊が最終段階にきてアタフタしてるわけです。
 1冊は2人の天才実業家、松下幸之助、井植歳男が協力し合って大成してゆく話です。
 松下幸之助は最初裏長屋の土間を工場にしてソケット製造を開始し、戦後日本の代表的企業である松下電器(現パナソニっク)を作
 り上げた人物です。もう1人の井植歳男は長年松下電器に勤務し、専務で退職、以後、10年そこそこで大企業三洋電機を育て上げた
 偉材なのです。
 じつはこの2人は義兄弟でした。幸之助夫人むめのが歳男のじつの姉だったのです。その縁で幸之助が21歳で勤務先を辞め、ささやか
 な工場を始めたとき、14歳の歳男も実家のある淡路島を出て、義兄の工場へ働きに入ったのです。
 幸之助は自分の制作したソケットの製造に熱中し、歳男は毎日荷車を引いて道修町までソケットの材料の仕入れに出かけました。コーパル
 ゴムや石粉、石綿などを荷車に山積みして引き、車輪が石に乗り上げると梶棒が跳ね上がり、歳男の身体も跳ね上がった。ソケットは全然
 売れず最初は貧困もきわまったが、年末近く扇風機のスタンドに使う部品の注文が舞い込んで当分は凌ぐことができたようです。
 さまざまな困難に屈せず、会社はしだいに大きくなりました。戦争を挟んで従業員数1万五千。子会社数30社以上の大企業に成長したの
 です。傘下には軍の命令で建設した造船会社、飛行機会社もあるが二社とも戦後二人の足を引っ張ることになります。。
 二大天才実業者の本の締めくくりをやってわたしは居間へ出ました。、NHKのクラシック音楽館の時間でした。指揮.D.ジンマンと
 ピアニスト.アンスネスでシューマンのピアノ協奏曲でした。若いころ散々聴いた曲だが、懐かしくてテレビの前に座り込んだのです。
 1楽章、2楽章と聴きすすむうちに、わたしは陶然となりました。松下、井植の両者とも天才実業家で経営については素晴らしい直観の
 持ち主であり執念の持ち主でもありますが、シューマンのこの若々しさ、魂が別世界へ飛んでゆくようなこの境地を味わうことができたか
 どうか。いや、そんな機会を掴もうにも掴める身の上ではなかったと思わざるをえないのです。
 あの二人が幼少のころから丁稚方向や工場の下働きに出たことが、利益の追求に一生を捧げて悔いのない歳月のためにはむしろ役立ったの
 ではないでしょうか。これを云うとビンボー人の僻みだと云われるにきまってますが。
 それにしても演奏家はシアワセですな。何万人を同時に音に縛り付けて感動させられろるのだから。