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2014年6月10日 3:47 PM

OB会 あれこれ

6月7日の午後、久しぶりで会合に出席しました。秋田県大館鳳鳴高校のOB
による親睦会の役員会。名称は関西大館鳳鳴会といいます。
大館鳳鳴高校は明治21年に大館中学校として設立されました。秋田県では県
中央の秋田市に明治6年秋田中学が設立され、15年をへて県北の大館、県南
の横手にそれぞれ中学校が設立されたそうです。大館中学は昭和23年に学
制改革によって大館鳳鳴高校になりました。わたしが大館中に入学して2年後
のこと。したがってわたしは大館鳳鳴高校の4期生ということになります。
旧制中学、新制高校をつうじて大館鳳鳴高には116年の歴史があります。O
Bたちが強い愛校心を抱くのも当然のこと。わたしは高校2年から事情あって
花輪高へ移りましたが、大館鳳鳴のOBだと自認しています。
鳳鳴会は東京、仙台、札幌、名古屋など全国各地にありますが、関西在住のO
Bの人数がわずかなので、昨年ようやく発足の運びとなりました。わたしはも
うトシで、役務がしんどいし、禁酒中で会合は敬遠していたのですが、役員の
一人でもあるので、ノコノコ出かけていったわけです。
集まった役員は5名。会長の石田雅俊氏が16期、監事の佐々木正道氏が15
期で、04期の私よりも10年以上若い人ばかり。わたしはダントツの爺さん
でした。じっさい関西へきている70歳以上の老人はは皆無に近いのです。
近年秋田と関西の距離は近くなったけど、私の学生時代には京都から秋田まで
は2日がかりの旅でした。秋田県出身の者なんて京都では出会ったこともあり
ませんでした。
出席した役員の人たちはいずれも社会の上層にいる人たちです。医師、大学教
授、有名企業の元幹部社員など。異色の人材は篠山の牧場経営者です。それに
迷惑かもしれないけど小説家のわたし。さすが県北の進学校でOBは多士済々です。

行事の打合せのあと少々飲んで雑談しましたが、全員それなりの見識の持ち主で、

なかなか実りのある会合でした。歳をとると出不精になりますが、勉強のためにもせいぜ
い出席せなアカンとわたしは肝に命じたのです。
前述のとおりわたしは高2のとき花輪高へ転校しました。花輪高はもと女学校
です。男子校の鳳鳴から移って、あまりの校風の違いに唖然としました。
女学生という人種をわたしは竹久夢二描くところの、詩集を手に月見草を鑑賞する
繊細で上品な乙女と思っていたのですが、現実の女学生はとてもそんなロマンチック

な存在ではなかったのです。豚の尻尾のような髪。洗いざらしのセーラー服。肩にフケ

の散っている子もいます。読む本は大衆誌の「明星」とか{平凡」。噂話でぎゃあぎゃあ

笑っています。つまらん娘が大部分でした。
そのくせ妙なオーラがあって、近づくとなんだか挑発されます。なんせ胸とお
尻ががむっくりと張り出した娘が多いのです。性的な刺激でいらいらします。
わたしは緊張して彼女らとうまく会話できず、さっぱりモテないまま花輪高を
終えました。
学期試験の前に教師と生徒の交渉が行われます。教科書のどのページからどの
ページまでが試験の「範囲」になるかが教室で決まるのです。教師が例えば、
「30ページから55ページまで」
というと、女生徒たちは一斉にイヤーンと鼻を鳴らします。もっと負けろというわけです。
教師は嬉しそうに「では30ページから50ページまで」と値引きをします。
女生徒たちはまた鼻を鳴らし、教師はさらに「範囲」をせばめるというわけです。
こりゃたまらん、こんな調子では然るべき大学には入れそうもない。わたしは
ガラになく危機感にかられ、授業を当てにせず、自習するしかないと覚悟した
ものです。
大館鳳鳴では2年生ごろから大学受験対策が始まるけど、花輪高ではその気配も
なし。いまはそうでもないのだろうけど、もと女学校は要するに花嫁学校で、受験向き
ではなかったのです。
昨今は秋田、関西間は新幹線で一日の旅で済みます。関西鳳鳴会に加入資格のあ
若者が大勢関西に住んでいるのではなかろうか。
「会員を2倍3倍に増やさんといかんな」
役員たちは張り切っています。
でも、商店街がシャッター街に変わった大館の現状を思い浮かべると、そうも言
っていられなくなります。関西鳳鳴会が賑やかになっても大館市が縮小、滅亡し
てはなんにもならない。胸とお尻の張り出した女生徒が範囲,範囲とさわいでい
た花輪高のほうが案外時代を先取りしていたのかもしれません。
大館も花輪もそれなりに秋田美人の産地です。女の子たちは地元に止まるように
教育すれば、若者のUターン志向も強まるのではないかな。